ヨネックス<上>世界的メーカーに育てた創業者・米山氏逝く
世界的スポーツ用品メーカー、ヨネックス創業者で、同社ファウンダー名誉会長の米山稔氏が11月11日、老衰のため郷里の新潟県長岡市の病院で死去した。95歳だった。
女子テニスのマルチナ・ナブラチロワ、マルチナ・ヒンギス、伊達公子選手らトッププロと契約を結び、ヨネックスを世界市場に飛躍させた。現在も大坂なおみ選手、バドミントンの桃田賢斗選手ら多くのトッププレーヤーと契約している。
米山稔氏は1924(大正13)年10月15日、新潟県三島郡塚山村(現・長岡市)で生まれた。歌手の三波春夫(旧名・南篠文若)さんとは幼馴染みで、「本屋の文ちゃん」「下駄屋の稔」と呼び合った仲だった。塚野山尋常高等小学校を卒業した。
太平洋戦争で沖縄戦に従軍した。集団自決が起こったことで知られる慶良間諸島の渡嘉敷島で激しい戦闘を体験した。出撃命令は下らなかったが、モーターボートに爆雷を積んで米軍の輸送船に突っ込む特別攻撃隊の一員だった。連合軍の沖縄上陸後は、自動小銃の弾丸が飛び交う中をくぐり抜け生き延びた。