著者のコラム一覧
村山治ジャーナリスト

1950年、徳島県生まれ。1973年に早稲田大学政治経済学部を卒業し毎日新聞社入社。1989年の新聞協会賞を受賞した連載企画「政治家とカネ」取材班。1991年に朝日新聞社入社。東京社会部記者として金丸事件、ゼネコン汚職事件、大蔵省接待汚職事件などの大型経済事件報道に携わる。2017年からフリー。著書に『特捜検察vs.金融権力』(朝日新聞社)、『検察 破綻した捜査モデル』(新潮新書)、『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』(文藝春秋)『工藤會事件』(新潮社)など。最新刊は『自民党と裏金 捜査秘話』(日刊現代/講談社)

【東京佐川急便事件】異聞(1)バブル崩壊で開いたパンドラの箱

公開日: 更新日:

 金丸脱税事件摘発の1年前。戦後日本の負の遺産が噴出した根の深い事件が摘発された。運送大手の佐川急便グループの中核企業、東京佐川急便を舞台にした巨額背任事件である。政界のドン・金丸信を失脚させ、自民党最大派閥の竹下派分裂-小沢一郎らの脱党-総選挙での自民党の敗北、下野。連立政権の誕生──と続く戦後政治の一大転換劇のきっかけになった。金丸の脱税事件摘発は、この大きなドラマの一幕にすぎなかった。

 ◇  ◇  ◇

 私事になるが、筆者は東京佐川急便事件のちょうど1年前の1991年2月、毎日新聞社から朝日新聞社に移籍した。満40歳。早い人ならデスクになる年齢だ。今でこそ、新聞、テレビからネットメディアまで記者が会社を渡り歩くのは珍しくなくなったが、当時は、大手紙の記者が別の大手紙に、ましてその年齢で移籍するのは珍しかった。

 毎日新聞では大阪、東京の社会部で警察、検察・裁判所取材や権力犯罪告発型の調査報道を担当。朝日新聞でも東京社会部の遊軍記者となった。

「何をやってもかまわないが、とりあえず、『持ち場』を」というので、当時、社会部ではカバーしていなかった大蔵省の市場監視部門を担当することにした。

 日本の金融市場は新たな時代を迎えていた。1980年代前半の金融自由化とプラザ合意(85年)で政府は長期の金融緩和を余儀なくされ、株、土地の資産バブルが起きた。金融機関から重厚長大産業まで多くの企業が軒並み浮利を追い、財テクに走った。その陰では、暴力団や、暴力団のフロント企業など反社会的勢力が跋扈していた。

 89年暮れ、東証1部上場企業の日経平均株価はピークの3万8900円をつけたあと急落。それが引き金になってバブルが崩壊すると、目をそむけたくなるような供宴の残骸が姿を現した。財テクに走った企業がばたばたと経営破綻。反社勢力に食い荒らされていることが判明したのである。

 その後始末を兼ねた経済事件摘発の季節が始まっていた。大蔵省の市場監視部門である証券局はそういう事件情報の宝庫だったのだ。検事の出向も始まっていた。

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    立花孝志容疑者を"担ぎ出した"とやり玉に…中田敦彦、ホリエモン、太田光のスタンスと逃げ腰に批判殺到

  2. 2

    阪神・佐藤輝明にライバル球団は戦々恐々…甲子園でのGG初受賞にこれだけの価値

  3. 3

    FNS歌謡祭“アイドルフェス化”の是非…FRUITS ZIPPER、CANDY TUNE登場も「特別感」はナゼなくなった?

  4. 4

    阪神異例人事「和田元監督がヘッド就任」の舞台裏…藤川監督はコーチ陣に不満を募らせていた

  5. 5

    新米売れず、ささやかれる年末の米価暴落…コメ卸最大手トップが異例言及の波紋

  1. 6

    兵庫県・斎藤元彦知事らを待ち受ける検察審の壁…嫌疑不十分で不起訴も「一件落着」にはまだ早い

  2. 7

    カズレーザーは埼玉県立熊谷高校、二階堂ふみは都立八潮高校からそれぞれ同志社と慶応に進学

  3. 8

    日本の刑事裁判では被告人の尊厳が守られていない

  4. 9

    1試合で「勝利」と「セーブ」を同時達成 プロ野球でたった1度きり、永遠に破られない怪記録

  5. 10

    加速する「黒字リストラ」…早期・希望退職6年ぶり高水準、人手不足でも関係なし