和歌山毒カレー事件 林真須美[前編]死刑制度の是非に「人を殺した人間は死刑になるべきです!」と訴え
昭和・平成・令和と時代を象徴する事件や社会現象がある。その当事者や周辺取材で得た証言をもとに振り返る。
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「待たせてごめんなー。お風呂の時間やったんよ」
2007年夏、大阪拘置所の面会室。林真須美死刑囚は満面の笑みでアクリル板の向こう側に現れた。
初対面なのに、敬語を使わない。「若いんやなあ。もっと上の人かと思うてたわ」と最初からフレンドリーだ。面会する前の私はかなり緊張していたが、次第に気持ちが和らいでいった。
和歌山カレー事件が起きたのは、この9年前の夏のこと。和歌山市園部の夏祭りでカレーを食べた67人がヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった。
報道が過熱する中、カレーの準備に関わった主婦の一人である真須美死刑囚とその夫について、知人男性らにヒ素を飲ませて保険金詐欺を繰り返していた疑惑が浮上。自宅を取り囲んだ報道陣にホースで水をかけて反撃した真須美死刑囚は、「平成の毒婦」と呼ばれた。
カレー事件や保険金殺人未遂の容疑で逮捕され、一貫して無実を訴えたが、裁判では1、2審ともに死刑判決を受け、当時は最高裁に上告中だった。
私がこの日、彼女を訪ねたのは一部でささやかれ始めた「冤罪説」を追う取材の一環としてだった。彼女はすごい勢いで私に捜査や裁判の不当性を訴えた。
「取り調べでオンナの検事に『あんたが認めないんなら、あんたの次女を逮捕したる』って言われたんよ!」
「私が紙コップを持ってカレーの鍋に近づくのを見たってマスコミで話してた男の子がいたやろ。あの子、裁判に出てきてないんやで」
真須美死刑囚のこうした主張は、すぐには理解できなかった。ただ、必死な思いは伝わってきた。
2022年現在、確たる証拠もなく、動機も特定されずに有罪とされたことが知れ渡り、彼女の冤罪説を取り上げるメディアも少なくない。だが、当時はまだ「平成の毒婦」の主張に耳を傾ける取材者は皆無に等しかった。そのため、彼女も必死だったのだろう。
この日以来、2年ほど面会や手紙のやりとりを重ねた。この間、真須美死刑囚は「とにかく少しでも真実を知ってもらわんとあかん」と有名無名を問わず、さまざまな人たちに手紙を出していた。努力のかいもあってか、次第に支援者も現れるようになり、有名な冤罪被害者が面会に来てくれたりするようにもなっていた。
私が最後に真須美死刑囚と面会したのは2009年5月1日のことだ。彼女はこの10日前、最高裁に上告を棄却され、判決訂正の申し立てをしていたが、ほどなく棄却されて死刑が確定する見通しだった。
死刑確定前の叫び
この日は雑誌編集者、テレビ記者と一緒に3人で面会したが、テレビ記者から死刑制度に賛成か反対かを聞かれた真須美死刑囚は力いっぱいこう訴えていた。
「私は、人殺しは嫌いです! 人を殺した人間は死刑になるべきです!」
これは一種の冤罪主張だが、彼女自身が今まさに死刑が確定しようとしているだけに迫力があった。ふと見ると、頬を涙が伝い落ちている。面会中はいつも笑顔だったが、死刑確定間際だけに感情が高ぶっていたのだろう。この17日後、真須美死刑囚は判決訂正の申し立てを退けられ、死刑が確定した。
もうすぐ13年。真須美死刑囚は現在も無実を訴え、和歌山地裁に再審請求中だ。この間、メディアや国を相手にさまざまな訴訟を起こして数多く勝訴し、その都度話題になった。昨年6月には長女とその娘である孫2人が亡くなる不幸があり、また大きく報道された。
これほど波瀾万丈な人生もそうはないだろうが、この真須美死刑囚と人生の多くを共有してきた人物が1人いる。
林健治さん。かつて真須美死刑囚と共に「疑惑の夫婦」と呼ばれた男だ。