スキューバの重りを使用 打撃コーチはアイデアマンであれ
■突然の引退勧告
「代打が中心になるかもしれないが、期待しているから、頑張ってくれ」 日本ハムから広島にトレードが決まった1977年、当時の古葉竹識監督から自宅に電話をもらい、意気に感じた。
プロ8年目で3球団目。ミート率を上げるため、スイングをコンパクトに変更した。代打に甘んじるわけではない。代打を突き詰めてみようと心に決めた。
この年の5月、中日・星野仙一から代打サヨナラ2ランを放ったのはいい思い出である。
78年は3位に終わったにもかかわらず、オフにチームで米グアムに行き、同行した当時の松田耕平オーナー(享年80)から妻ともども声をかけてもらい、感激したのを思い出す。カープは家族的な雰囲気を大切にする。簡単には選手を交換トレードに出さず、見捨てないという伝統がある。