「なぜドイツに移籍しなかった?」何度も聞かれた質問、今の釜本の答えはこうや
ヤンマーは68年JSLで過去最高の2位に躍進し、自分は14ゴールを挙げて初の得点王のタイトルを獲得した。その余勢を駆って69年元日の天皇杯では、三菱を自分のゴールで1-0のスコアで破り、念願の初タイトルをゲットした。日本サッカーの大盛り上がり、ヤンマーの上昇機運に「冷水を浴びせるようなドイツ移籍は封印すべきではないか」という思いが日に日に増していった。
ましてや当時は「スポーツで金銭を稼ぐことを堕落」と捉える風潮がまかり通り、日本サッカー協会の選手登録にも「アマチュア」のカテゴリーしかなかった。海外のプロと契約して大金を手にした、それなりに活躍した、ケガをしてクビになった、傷心帰国した元プロの釜本をJSLのチームは、どんな立場で雇ってくれるのか、そもそもアマチュアじゃなくなった釜本はJSLでプレーできるのか? 何もかもが不透明やった。
「なぜドイツに移籍しなかったのですか? 後悔はしていませんか?」
同じ質問を何回、聞かされたことだろうか。
若い頃は「向こうでゴールを奪う自信? プロのDFたちとやり合う自信はあった。なかったら行かないでしょう」と答えていた。最近は「今さらどうしようもないことを後悔しながら振り返るのは性に合わへん」と答える。これ、本音やで。(つづく)
(取材・構成=絹見誠司/日刊ゲンダイ編集部)