東京五輪に最年少20歳で出場するも「世界から見たら三流のサッカー選手」と打ちのめされた
京都・太秦小4年の冬やったな、初めて本格的にサッカーボールを蹴ったのは。それまでは典型的な野球少年やった。
校庭からパッカァ~ンって校舎まで大飛球をよう飛ばしたもんや。あまりにポンポン飛ばし過ぎるもんやから、上級生から「左打席で打て」と言われたこともある。
蜂ケ岡中に進んだら野球部で活躍すると決めていたが、入学前に「サッカーを選べば五輪にも出場できる。野球と違って世界中に行ける」と聞かされて方向転換。山城高では国体優勝、高校選手権準優勝と結果を出して2、3年と連続してユース日本代表に選ばれた。
早稲田大に進学して2年になった4月。半年後に開幕する東京五輪代表候補による最終合宿が千葉・検見川で始まった。
開幕直前の9月に発表された五輪代表の一員となり、中学からサッカーを続けて心の底から良かったと思った。本当にうれしかった。でも……東京五輪は、ほろ苦い思い出しか残っていない。
技術、体力、メンタルのすべてが見劣りしていた。「オレなんて世界から見たら三流のサッカー選手」と意気消沈するばかり。ホンマに打ちのめされてしまった。