魔術師こと三原脩監督の「究極の奇策」に相手チームの監督、審判までも目を丸くした
「型破りのリリーフ作戦」と振り返った三原は、実は西鉄監督時代にもエース稲尾和久を同じように使い成功している。とっぴな策は三原によれば「エースを簡単に引っ込めるのはもったいない」という理屈。すでに大リーグでこの戦法があったことを学んでおり、それを実践したのだった。
三原の呼び名は「魔術師」。60年に最下位大洋を日本一にしたからなのだが、早大時代から精神論より理にかなった作戦を求めていた。
策の根拠と実行する自信と度胸。アテ馬7人は三原会心の名作であり究極の奇策だった。日本球界に“知恵比べ”を持ち込み、その戦いは中身が濃く木戸銭に見合っていた。