俺と巨人ガルベスの大乱闘の一部始終…落合博満さんのヘッドロックには気を失いかけた
令和になって乱闘は「天然記念物」になった。ただ、俺らの現役時代、特に星野仙一監督時代は日常茶飯事だった。
今でも「乱闘といえば」といって話題にあがるのが、1996年5月1日の巨人戦。ナゴヤ球場で起きた俺とガルベスによる大立ち回りだ。
0-6で大差をつけられていた五回裏、先頭で打席に立った俺は、すでにガルベスの「戦闘態勢」に気付いていた。五回表に同僚の小島弘務さんが落合博満さんの背中に死球を当てていたからだ。
遡れば、前日は、俺が岡島秀樹から左肘に死球を食らい、2週間前には同僚のダネル・コールズもぶつけられていた。報復の応酬が続き、両軍ベンチには一触即発の雰囲気が充満。いつ爆発してもおかしくなかった。
この年、俺は開幕から好調をキープしていたが、俺のような一軍半の若手は一番狙われやすい。小島さんが落合さんに当てたとき、次は俺に来ると直感した。
「(危険球が)来たら行きますから。みんなよろしくお願いしますね」