「ガルベスと牛乳で仲直りしよう」…大豊泰昭さんの提案を断固拒否してそれっきり
1996年5月1日、巨人戦で勃発したガルベスとの大乱闘で試合は32分の中断。俺とガルベスは仲良く退場となった。
当時、俺の考えの根底には「外国人に日本の野球をナメられたくない」という強い思いがあった。プロの世界で多くの外国人選手を見てきたが、日本の野球をナメていると感じる瞬間が何度もあった。態度が悪い、全力疾走をしない、球団や首脳陣に文句……。そういう選手にはより一層「負けたくない」と思った。
俺はどちらかといえば、売られたケンカを買っちゃうタイプかもしれない。
当時、星野仙一監督は俺のことをこう言っていたという。
「外国人に向かっていく。今の野球でそんなことができるやつ、誰がいる?日本そのものが米国に弱いのに。俺だって名古屋の大将や。江戸城の大将にケツを引いたらみんなが見ている。選手の手前、引けんだろう。だから行くんだ」
外国人選手にも向かっていける俺だから、星野監督にも盾突いたのかもしれない。もっと従順だったら、あともう100本ホームランを打って、名球会に入れたかもしれん。性格なんて直らんなあと思う。