元横浜高監督・渡辺元智さんを悼む…甲子園優勝5度、栄光の裏の病気と金策
高校球界を代表する名将が逝った。
横浜高校の監督として甲子園春夏5度の優勝、歴代5位タイの通算51勝を挙げた渡辺元智氏が17日、死去したことがわかった。81歳だった。
1998年に“怪物”松坂大輔を擁して史上5校目(当時)の甲子園春夏連覇を達成。今夏、“新怪物”織田翔希が牽引する横浜がその年以来となる28年ぶりの夏の甲子園制覇に向けて勝ち進む中での訃報に、悲しみが広がった。
横浜での現役時代は中堅手として活躍。神奈川大に進学後、65年に母校の野球部長となり、68年に24歳の若さで監督に就任した。2015年に勇退するまで、春15回、夏12回の計27回の甲子園出場。その後も総監督、解説者、高野連アドバイザーなどを務め、今夏の神奈川大会にも激励に訪れていたが、一方で持病との闘いも長く続いた。
横浜の野球部長として二人三脚で同校を全国的な強豪に育て上げた、渡辺氏の同級生でもある小倉清一郎氏は、勇退の際にこう言っていた。
「渡辺は長年、病気と闘ってきた。89年には胃潰瘍で長期入院。2年間部長を務めた時期もある。04年には脳梗塞で倒れ、その後は体力強化のため、練習前に毎日グラウンドを2時間ほどウオーキングするのが日課となっていた。体調管理には気を配っていたが、近年は腰痛やメニエール症候群も発症。『体力の限界』と漏らしていた」
数々の栄光の裏で苦労も多かった。高校野球界の超名門で知られる横浜だが、ほんの10年前まで野球部の予算は年間60万円。部員から徴収する部費も月1000円だったという。限られた予算を補うため、金策に奔走したのが監督である渡辺氏だった。以下、小倉氏の回想だ。


















