写真が問いかける、水俣病70年の歴史と現実 「水俣からあなたへ」一般社団法人水俣・写真家の眼著
「水俣からあなたへ」一般社団法人水俣・写真家の眼著
「水俣病」の公式確認から70年が経った。
著者は、1960年から水俣を「撮る」ことを「人生を懸けるに値する仕事」だとする9人の写真家が集まって発足した団体。9人が、それぞれの思いを込めてこれまでに撮影した24万点を超える作品を編み、今なお苦しみが続く水俣病の現実を伝える写真集だ。
人々が暮らしていたのは、熊本と鹿児島に接する内海「不知火海」に面した漁村だ。住民たちは穏やかな内海からいただく魚や貝などの命を、天からの「のさり(授かりもの)」として大切にしてきた。
そんな漁村のひとつ、茂道の集落を高所から撮影した写真には、入り江の向こうに海が広がり、まさに海と共に生きてきた日本の原風景のような景色が広がる。
さらに、坪谷集落のとある家の室内から撮られた写真では、家のすぐ目の前に船着き場があり、人々が海と共に生きてきたことがよくわかる。
そんな風景の中で、子どもを連れた麦わら帽子姿の女性が行商人から魚を買う姿をとらえた写真がある。漁村の日常の光景のように見えるが、巻末に添えられたキャプションを読んで見方が一変する。
この写真が撮影されたのは1960年。すでに不知火海は汚染されており、行商人から湾外で取れた魚を買っていたのは、地元の漁民だそうだ。
知れば、その不条理さに愕然となる一景だ。
そして、水俣駅の裏山から撮影されたもくもくと煙をあげながら稼働する巨大プラントを擁した原因企業「チッソ(日本窒素肥料株式会社)水俣工場」の全景、工場から垂れ流される排水の写真に続き、その工場から出た排水に含まれたメチル水銀によって日常を奪われた人々のポートレートが続く。
歩くことはもちろん、起き上がることも座ることもできず畳の上を這いつくばり、食事もあおむけになったまま祖父に食べさせてもらっている胎児性水俣病患者の半永一光さんや、手首が曲がったまま動くことも、話すこともなく23歳で生涯を終えた松永久美子さんなど。
症状は一人一人さまざまで、水俣病であることはなかなか見えにくいという。
中にはうつむいただけで口元からよだれがたれている男性や、見舞いに行くと病院のベッドで突然泣き出した男性など、未認定患者の姿もある。
患者や家族はやがて立ち上がり、団結してチッソ、そして被害の広がりを防ぐために動かなかった国や県の責任を問いただすために戦いののろしをあげる。体を張って訴える当事者たちの姿もレンズは追ってきた。
巻頭部に1960年に撮影された、姉と思われる少女におんぶされた胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんの写真がある。そして巻末部には64年後のその近影が添えられている。その顔から、途方もない苦しみを耐え抜いてきた日々を我々は想像するしかない。
今なお、終わらぬ水俣病の歴史と現実、そして二度と同じような過ちを犯さないために、一枚一枚の写真が見る者に静かに多くのことを語りかけてくる。
(リトルモア 2640円)



















