本人の感性を追い越すようなスピードで賽は投げられた
ただ、この話のポイントは、沢田研二自身の感性がむしろ、まだ「TOKIO」より「ロンリー・ウルフ」の方向にあったという点にある。「ロンリー・ウルフ」は、70年代後半の沢田研二を支えた大野克夫の作曲で、作詞は阿久悠ではなく喜多條忠だが、歌詞世界は明らかに阿久悠の書きっぷりを踏襲した仕上がりになっている。
言い換えれば、まったくオールドウェーブな一曲である。
そういえば、シングル「TOKIO」のB面、「I am I(俺は俺)」も作詞に、糸井重里同様、コピーライターの仲畑貴志を招いているものの、やはりオールドウェーブな仕上がりだ。そう、79年秋の段階で沢田研二の感性は、まだ「TOKIO」に追い付いていなかったのだ。まだニューウェーブじゃなかったのだ。
しかし、そんな沢田研二のオールドウェーブ性と、糸井重里、後藤次利が寄ってたかって組み立てたニューウェーブ性とのミスマッチが、あのヤバいインパクトを生んだ。そして、そんなヤバさをぷんぷんと振りまきながら、沢田研二の、いや日本の80年代は始まったのだ。沢田研二自身の感性を追い越すようなスピードで。
さぁ、賽は投げられた。




















