作詞家・売野雅勇さん 「少女A」と「涙のリクエスト」はデビュー曲とのギャップから生まれたヒット曲
チェッカーズは1stが「ギザギザハートの子守唄」と聞いて泣いた
僕にとっては芹澤さんとの出会いもものすごく重要です。芹澤さんと僕は性格が全然違います。彼はギタリストでバンドマン。見た目は超強面。ゴルフウエアを着ていたり、高級シャツを着ているような男っぽい人。僕は彼に「売野さんはおしゃれ系」と言われてました。
チェッカーズは基本はオールディーズで、シャネルズと、あと8ビートのロック。生まれ育ちもシャネルズと似ている。
ボーカルの藤井フミヤは国鉄の職員だし、鶴久政治は八百屋の息子。彼らはドゥワップをやっていたら久留米で人気が出ちゃって、その後、東京のコンテストでグランプリを受賞して上京してきたグループです。
芹澤さんは先生として彼らに毎週、教えていたけど、僕は2回くらいしか顔を出したことがなかったかな。僕の印象ではフミヤくんと鶴久くんがとくにおしゃれでしたね。フミヤくんは原宿の、当時有名だったモード系の店なんかに通っていた。
当時、僕は230SEクーペというロングボディーのメルセデスに乗っていたのですが、フミヤくんは「いい車っすね」なんて言うかわいらしい青年でした。
デビューシングルの「ギザギザハートの子守唄」(作詞・康珍化)は売れませんでした。芹澤さんが「ギザギザハート」を歌ってみせたら、メンバーが「これ、なんすか」と言って、笑ったそうです。「君たちが歌うんだよ」と言ったら、泣いたって(笑)。
そして、2ndシングルが「涙のリクエスト」。実は「涙のリクエスト」がデビューシングルになる予定だったけど、ちょっと弱い、それよりエッジが利いた「ギザギザ」にしようとなった。「ギザギザ」が出た後、鶴久くんに「先生、次の『涙のリクエスト』は売れるでしょうか」と聞かれました。「売れないと久留米に帰って八百屋を継がなきゃいけない」って。僕が「絶対に売れる。君たちの一番いいところが出ているよ」と言ったら、「本当すか」ってね。
明菜さんの時もそうだけど、ギャップがあると衝撃が増すということです。2作目でヒットして本当によかったと思います。
写真は僕の2年遅れの40周年の記念フォーラムを行った時に楽屋で撮ったもの。左から僕、フミヤくん、芹澤さん、弟の尚之くんです。
(聞き手=峯田淳)