元テレ朝アナ松井康真さんはタミヤのプラモ3000個を集めるマニア「亡き田宮俊作会長の記念館を造りたい」

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あまりのマニアックさに日本中から模型ファンがHPに集まり、輪が広まっていった

 3つ目がプラモデル。子供の頃からタミヤの模型が大好きで集めていました。退職前からつながりはあったんです。98年に「田宮模型歴史研究室」というホームページを個人で作りました。

 しかし、「田宮」と名乗るHPタイトルには許可が必要と思い、人づてにタミヤの方に尋ねてみましたら即OK。始めてからはコレクターとして集めた3000個ほどの模型を「この模型は◯年の発売で、こんな工夫がされてここがすごい」と細かく書いて毎日更新。

 私が所持しているのは昭和30、40年代が多い。中には半年で発売中止になった模型に「こんな理由でなくなった」と記したり。幼少期から調べた研究成果を発表する機会がついにきたという感じでした。サイトは今でもありますよ。

 あまりのマニアックさに日本中から模型ファンがHPに集まり、輪が広まっていきました。

 その時期、当時の社長の田宮俊作会長にご挨拶。それ以来、最新模型の話や私が入手した古いプラモについて話をさせていただける関係になりました。

 大きく関わる分岐点は2000年に「田宮模型全仕事」という本が出版される際、協力させていただいたこと。タミヤはつねに新しい製品を造ることに邁進しているので、過去の製品を振り返って調べ出すような社史編纂室がそもそもないんです。私は発売年月日やいろんなデータを調べて持っていたので、それまでもタミヤの方から「松井さんのHPは助かります」と言われていたんです。

 元々はあるフリーの編集長が責任者だったのですが、企画進行中にいろいろと問題が発生し、出版社から田宮会長に「どうしたらいいでしょう」と相談をした時に「テレ朝の松井さんに聞いてください。一番詳しいですから」と答えられたと。

 それで突然、私に出版社から「本のアドバイザーになってください」と電話が来て驚きました。その時は局に業務外の仕事願を提出して、本作りに関わりました。

 タミヤの歴史は2000年まででも半世紀あり、過去に数多くの製品が発売されました。フリーの編集長が作った製品リストは間違いや抜けが多くそこを指摘すると、「タミヤ本社にも資料がないそうで……」と言うので、「それは私が持ってますし、製品の現物も持っていますので大丈夫です」といった具合で大幅に修正を加え、個々の製品解説に関してもタミヤ本社からNGが出てしまい、私とタミヤの広報の方とで全面的に書き直しました。

 そんなふうにしてタミヤの公式な歴史本に携わるという体験ができました。その本やHPでやっていることを私は「模型考古学」と名付けています(笑)。

■肩書はタミヤ模型史研究顧問

 定年になる数年前から田宮会長に「テレ朝辞めたら、うちを手伝ってくれないか」と言われるようになったんです。あまりにも光栄な冗談だろうと思っていたら、次期社長に内定していた(昨年7月に37歳で就任)田宮信央さんからも「松井さん、お願いします」と言われ、お受けしました。「経営には一切関わりませんから、タミヤの模型史をしっかり作りたい」と希望を伝えました。

 いただいた肩書は「タミヤ模型史研究顧問」。当面の実務は、静岡のタミヤ本社内にある歴史館のリニューアル。見学ができてタミヤファンなら誰もが感動するスペースなのですが、ここは実質20年手つかずになっていました。20年以上前にレイアウトされた方たちは退職され、アップデートされていない。しかも展示模型の解説文がないし社内に解説を書ける人がいない。

 木製模型から始まった“タミヤ初の木製模型”も本社に残っていませんでしたが、無事に入手しました。

 また、約15年前に田宮俊作会長自らが完成させた“タミヤ初のプラモデル戦艦大和”も初展示! タミヤの創業以来の歴史が初めて実際の製品とともに時系列に並びました。

 私が監修した解説文もパネルにして貼り出し、歴史館が今月リニューアルされたばかりです。でも、これは48年の創業から62年までの歴史。言ってみればタミヤのエピソード1です。

 そんな時に俊作会長が急逝されました。逝去を知った瞬間はショックで何も手につきませんでした。結果的にゲンダイさんの取材は亡くなられる直前に受けたことになります。「私がやりたいことは本田宗一郎記念館みたいに田宮俊作記念館を造ること」と取材時に言っていましたが、まさかこんなに急に亡くなられるとは……。

 もちろん記念館の構想は具体的に会社にはなく、あくまで私の前からの夢です。もしも将来にタミヤから「ついにタミヤの博物館を造ろうと思います。できますか」と聞かれたら、「はい、この時のために準備していました」と言えるように、企画書や構想を準備するのが今の私のミッションだと思っています。

 ちなみに、今回のリニューアルにあたり、欠損が判明した30点ほどは私個人の所有物を展示しました。高額で取引される物も多数ありますが、「まさにこの日のために集めていた物、タミヤの歴史のためなら光栄の至り」と全部タミヤに寄贈させてもらいました。

 子供から大人までワクワクできる博物館をいつか実現させたい。その前に歴史館を充実させていくので、ぜひお越しください。

(聞き手=松野大介)

▽松井康真(まつい・やすまさ) 1963年3月、富山県出身。86年にテレビ朝日にアナウンサーとして入社。報道局記者を経て2023年に定年退職。現在はフリーで活動。24年から株式会社タミヤ模型史研究顧問。

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