「プロジェクトX」司会の元NHKアナウンサー国井雅比古さんが明かす 視聴率20%人気番組の舞台裏
ゲストに号泣されたり、放送しないでくれと言われたり、毎回が綱渡りでした
「1年目はああでもない、こうでもないと少ない人数で手探りでやっていたのを思い出しますね。人気が出てきたら、ディレクターが1人、2人と増え、最後は12人に。効率化が求められていた当時、こうしたことは非常に珍しかったんですよ」
番組の認知度がまだ低かった初期はとくに苦労が多かったという。番組に登場する無名の人たちをスタジオにゲストとして招き、しゃべってもらうことも大儀だった。
「まずリサーチや取材が大変だし、ゲストにテレビ出演を快諾してもらうことも難しかった。『そんな話は家族にもしたことがないのに、今さらテレビの前で話す気はない』などと断られて。それでも諦めず、何度もお願いをして、ようやく出演が実現した方もいました。われわれの東京のスタジオに来ていただき、『ようこそ』と歓迎しても『ああ』と無愛想におっしゃるだけで、どうなるかと思いましたが、本番でVTRを見るうち『こんな取材もしたのか』『この人にも会ったのか』などと言って気持ちがノッてこられ、実に迫力ある面白い話をしてくれました」
国井さんらキャスターがスタジオでゲストに会って話を聞くのは、ぶっつけ本番だったという。
「事前に本や資料で学び、取材VTRを見て、ディレクターから説明は受けていましたが、ゲストが実際にはどんな方かわかりません。話がどこへ飛んでいくかもわかりませんから、毎回綱渡りでした。話をするうちに号泣された方がいて、ビックリしたこともあります。ある業界の有名人が出てくれたときは、その方が主人公ではなかったので、お気に召さなかったのでしょう。収録後、『これでは困る』『このままなら放送しないでくれ』と言い出したんです。それでも僕らは当初の企画を曲げなかったので、最後にはあちらが折れました。『プロジェクトX』の人気が出た後だったから、考え直したのでしょう。人気の出る前だったら、お蔵入りになっていたかもしれません」
放送終了後にゲストから苦情がきたという悔しい思い出もある。
「その方はスタジオでかなり激しい発言をされたんです。僕はそこまで言わなくていいのになと思っていたのに。案の定、放送終了後、その方は『なぜあんなことを言ったんだ』と周りに責められたようで、『NHKに言わされたんだ』と言い出した。それは事実ではありませんから、今も納得がいっていません」
さまざまな思い出がある25年前の「プロジェクトX」。一緒に司会を担当したのは初代が久保純子アナ。続いて膳場貴子アナだった。NHKの看板女子アナは意外な一面も見せてくれたという。=後編につづく
(取材・文=中野裕子)
▽国井雅比古(くにい・まさひこ)1949年2月7日、山梨県都留市生まれ。東京大学文学部卒。73年NHK入局。富山、旭川、名古屋を経て98年、東京アナウンス室へ。落ち着いた声と語りで「日曜美術館」「プロジェクトX~挑戦者たち~」「小さな旅」などを担当。