【火の華】自衛隊の隠蔽問題から飛び出した兵士の苦悩と愚行の物語
結末の解釈は…見る人によって様々だろう
                         人間は弱い生き物だ。戦場で人を殺したこと、あるいは人が殺される光景を目撃したことで、長きにわたってトラウマに苦しめられることになる。あのアジア太平洋戦争から生還した兵士の中には何を体験したのかを明かさないまま死んだ人が少なくない。
 筆者は2013年に俳優の菅原文太をインタビューした。話は彼の父親に向かい、菅原は、「親父は戦争で北支(中国)に派兵され、生きて帰ったが、戦場のことは死ぬまで一切語らなかった」と話してくれた。
 本作の島田は銃器に精通しているため、機関銃の密造という悪の道にはまり、そこから脱するために花火師の道を選ぶ。だが花火も銃と同じように火薬を使う。打ち上げ花火が爆裂し、頭上に大輪の花を咲かせる光景に彼はPTSDの発作にかられてしまう。銃器の火花は人の命を奪い、花火はその美しさで観客を魅了する。同じ火薬が生み出した化学反応がまったく違う方向に作用するとは皮肉な話である。
 島田の苦しみとは別に、伊藤も正常な判断を失ったのか、無謀なテロ行為に走る。終盤の荒唐無稽な展開は1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件を思わせる。常軌を逸した人間はわずかな力で国家を転覆できると思い込み、多くの犠牲者を生んだ。伊藤の妄想は麻原彰晃と同根にある。
 本作の結末を戦闘と隠蔽に翻弄された人間の苦悩ととらえるか、それともテロリストの愚行への批判と理解するか。見る人によってその解釈の仕方は様々だろう。
 ただ、夜空に打ちあがる花火は息をのむ美しさ。銃器をリアルな迫力で描写した戦闘シーンとともに劇場の大画面で見て欲しい。 (配給=アニモプロデュース)
(文=森田健司)                    

 
                             
                                        


















 
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                     
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
         
         
         
         
         
         
         
         
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                 
                                