及川光博は“王子様キャラ”を公立小学校で開花させて「仲間の嫉妬」が原因で成城中学校に進学
といっても、常に暗い影を引きずっていたわけではない。成城でも女子からのモテぶりは変わらず、ファンクラブが結成されるほどだった。ここでも生徒会長を務めた。小学校の時のように男子から疎まれるのを警戒して、中3になるとロックバンドを組んだ。同級生と比較されるような対象ではなく、妬みをはるかに飛び越える存在になれば、何も恐れる必要はないと考えたのだ。文化祭のステージで歌って踊る及川はすでにスターだった。女子からはキャーという歓声が飛び交い、男子からは憧れの目が向けられた。
大学は成城の法学部に内部進学した。エンターテイナーを職業にしたいと考えるようになっていた。音楽に加え役者にもチャレンジしたいと、大学の授業の合間に俳優養成所に通いだした。芸能界入りを目指す及川の障壁となったのは親族たちだった。全員が反対したのだ。両親と何度も話し合い、「25歳までやってダメだったら家業を継ぐ」という約束をして、なんとか許しをもらった。父は薬局や飲食店などを手広く経営する実業家だった。
両親と交わした期限は守れなかったが、26歳でCDメジャーデビューを果たし、その2年後には俳優デビュー。竹野内豊主演の「WITH LOVE」(フジテレビ系)でいきなり準主役を務めた。
小学校以来の王子様キャラは今も健在。四半世紀以上、続けているワンマンショーツアーでは及川が“ベイベー”と呼ぶ女性ファンたちから黄色い声援が飛ぶ。根っからのエンターテイナーなのである。



















