著者のコラム一覧
荒木経惟写真家

1940年、東京生まれ。千葉大工学部卒。電通を経て、72年にフリーの写真家となる。国内外で多数の個展を開催。2008年、オーストリア政府から最高位の「科学・芸術勲章」を叙勲。写真集・著作は550冊以上。近著に傘寿記念の書籍「荒木経惟、写真に生きる。荒木経惟、写真に生きる。 (撮影・野村佐紀子)

<33>鈴木いづみとはお互いの勘が通じ合ったっていう感じ

公開日: 更新日:

 彼女、鈴木いづみはね、’70年代にすごい人気のあった作家なんだよ。オレがまだ電通に勤めていた頃、何かの小説雑誌のカラーグラビアに出てるのを見て、すごく気に入ったんだ。文章を書いていて、文学賞(「文学界」)の新人賞候補にもなったんだよね。オレはインテリジェンヌが好きだからさ、何か一緒にやろうと知り合いの編集者に紹介して欲しいって頼んで、会ったんだよ。(鈴木いづみは1949年静岡県生まれ。高校卒業後、市役所に勤務、69年に上京、モデル、俳優を経て作家となる。73年、アルトサックス奏者・阿部薫と結婚。86年、36年間の自らの人生に終止符を打つ。)

 その頃は、何かやりたいって思っていたときだから、向こうも何かやりたいって思ってて、そういうお互いの勘が通じ合ったっていう感じだね。息が合ったっていうかね。オレがいづみを撮るっていうだけじゃ嫌だから、彼女は作家だしね、だから、彼女が何をやりたいのかを引っ張り出そうと思って、自分が出演する写真集のシナリオを書いてきたらって言ったわけ。彼女は自分が登場する形で写真と小説を混ぜたようなものが作りたいって言って、2度目に会ったときには、もう自分で写真と文章のコラージュみたいなのを作って持ってきてたんだよ。

彼女が亡くなった年に「私小説」が刊行された

 オレの写真といづみの小説で本を出すことになったけど、出版が中止になった。レイアウトもオレが作って、もう印刷するところまで進んでたんだけどね。その入稿直前のものが出てきたんだよ、いづみが死んだ年に。もうどこにあるのかわからなくなってたのに、オレのところに戻ってきたんだよ。不思議だよね。それを生かしていづみの追悼として出版したのが『私小説』なんだ。
 

鈴木いづみはソフィア・ローレンみたいでさ

「何て言うか、一枚の写真なんかでは表現できないエネルギーって言うか、押さえきれない時代だったんだよね。だから、アタシも、写真だけじゃなくて、鈴木いづみを通して時代を見るというような気分だったね。それで、アタシが鈴木いづみに感じたことは、単なる天才少女、それで裸にもなる、というようなことじゃなくて、60年代世紀末の女っていう感じだね。時代を集約した女って言うかね。」(『私小説』1986年刊、「世紀末の女」より)

 これが、アルトサックスの阿部薫が嫉妬した写真なんだよ。「破られちゃった」とか言って、恥部屋(当時の荒木の事務所)に来たのを覚えている。イイ写真だよなあ、ソフィア・ローレンだね。

(構成=内田真由美)  

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高画質は必要ない? 民放各社が撤退検討と報じられた「BS4K」はなぜ失敗したのですか?

  2. 2

    大手家電量販店の創業家がトップに君臨する功罪…ビック、ノジマに続きヨドバシも下請法違反

  3. 3

    落合監督は投手起用に一切ノータッチ。全面的に任せられたオレはやりがいと緊張感があった

  4. 4

    自民党総裁選の“本命”小泉進次郎氏に「不出馬説」が流れた背景

  5. 5

    「二股不倫」永野芽郁の“第3の男”か? 坂口健太郎の業界評…さらに「別の男」が出てくる可能性は

  1. 6

    今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ

  2. 7

    世界陸上「前髪あり」今田美桜にファンがうなる 「中森明菜の若かりし頃を彷彿」の相似性

  3. 8

    三谷幸喜がスポーツ強豪校だった世田谷学園を選んだワケ 4年前に理系コースを新設した進学校

  4. 9

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  5. 10

    佐々木朗希いったい何様? ロッテ球団スタッフ3人引き抜きメジャー帯同の波紋