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荒木経惟写真家

1940年、東京生まれ。千葉大工学部卒。電通を経て、72年にフリーの写真家となる。国内外で多数の個展を開催。2008年、オーストリア政府から最高位の「科学・芸術勲章」を叙勲。写真集・著作は550冊以上。近著に傘寿記念の書籍「荒木経惟、写真に生きる。荒木経惟、写真に生きる。 (撮影・野村佐紀子)

<31>生まれたときからこの情景を見てた 体に染みついてる

公開日: 更新日:

 生まれてから、ずっと住んでいた(台東区)三ノ輪を離れるときに、実家の近所を撮った写真だね。タイトルの「私景1940―1977」っていうのは、撮影したのは1977年の数日だけど、生まれたときからこの情景を見てた、体に染みついてるっていうことなんだ。

 親父が死んでからもゲタ屋をやっていたお袋が死んでしまって、オレたち家族が70年住んだ家、「にんべんや履物店」が空家になってしまうことになった。オレは陽子と結婚してからも近所の歩いて3分のところに住んでいたけど、オレたちも引越しすることになって、三ノ輪を去ることになったんだ。オレの名文があるよ。

「ゲタの看板がある家が、私の生家である。この近所は元吉原土手で、当時は飲み屋や料亭が多くあった。ここで一杯ひっかけて外で待っている人力車に乗りこみ、遊郭へとくりこんだのである。(略)幼年時代、汽車道にバッタをとりに行ったり、貯水池にトンボをとりに行ったりした時、ゲタの看板を目印にして帰ってくるようにと、母は私におしえた。父の死後ひとりでゲタ屋をやっていた母も死んでしまって、もう五年も経ってしまった。」(1977年<私景1940―1977>より)

 このゲタの看板は、職人の親父が戦後につくった二代目なんだ。親父がつくった最初の看板は、まわりを銅板で囲ってつくってあったから戦争に献納させられてしまってね、親父は悔しかったんだろうね、看板を降ろす前にハシゴに登って、並んで記念写真を撮ったらしい。それから、降ろしたゲタの看板を店の前に置いて、その上にオレを乗せて、親父が何枚も写真を撮ってるんだよね。オレが4歳だった頃らしいけど。そんな記憶はぜんぜんなかったけど、お袋が死んだときに、整理したアルバムに、その写真が貼ってあったんだ。

昔遊んだ所やなじみの所…やっぱり近所の写真はいいね

 この年の11月、12月と、三ノ輪、金杉、入谷、千束、根岸、鶯谷、泪橋、南千住と、昔遊んだ所やなじみの所を撮り歩いたんだ。やっぱり近所の写真はいいね。やっぱりフラフラしてるといいんだな、近所を。子どもの頃、この跨線橋の上で、遠くから来る電車がどの線路に入ってくるかってゲームをしたとか、家の前の道では、親父がゲタに滑車をつけてくれて、ローラースケート代わりにして遊んだとか、そういう場所なんだよ。でも、よくまあこんな格好で近所を歩いてたね(笑)。

(構成=内田真由美)

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