河合雅司さん<2>囲み取材で小渕首相の変調に気づかず…
初任地の山形支局の次は多摩支局に赴任した。このとき初めて経験したのが夕刊の紙面づくり。山形エリアには夕刊がなかったため、日中に締め切りを迎えるのは新鮮だった。
その後、政治部に異動。“新人”は総理番をする習わしがあり、2000年、小渕恵三首相が倒れる前の最後の現場にもいた。
「小渕さんが倒れる前日の4月1日に小渕・小沢会談がありました。当時の自民党は、小沢一郎さんが率いる自由党とも連立を組んでいましたが、決裂するという話が流れていた。そんなタイミングで迎えた党首会談で、小渕さんは終了後の囲み取材に応じたのです。このときは、不自然な感じはありませんでした。確かに、言葉が出るまでに時間はかかっていましたが、重要な政治局面だから、頭の中で整理をしながら慎重に話しているのだと思っていました。先輩やデスクからも『変調はなかったのか』と聞かれたんですが、全く感じられなかった。まさか、その夜に脳梗塞で倒れるとは、思いもよらなかったです」