「老後2000万円問題」とは「どこで手を打つか」の問題 僧侶による“目からウロコ”の考え方
金融庁の資料によれば、60歳の夫婦のいずれかが、少なくとも「95歳」まで生存する割合は5割弱。現状の日本では、残念ながら「長生きリスク」となる。それでも老齢年金の受給額を見ると、80歳から上の人はまだまだ余裕がありそう。それ以下の人は少しだけ工夫が必要になりそうだ。
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「練馬から千葉県の佐倉に庵を結び、畑もやりましたし、内房・外房へ釣りにも出かけました。都心まで電車で1時間15分は確かに不便かもしれませんが、その間は本も読めますし、何より『この作業は明日に電車の中でやろう』と気持ちに余裕ができました。このように一長一短の“長”をどれだけ多く見るかで、人生は変わってくるような気がします」
こう話すのは、浄土真宗本願寺派僧侶で作家の向谷匡史氏だ。老後の不安は尽きないが、「足りなかったら、足りないながらの生活を許容すればいいのでは」と向谷氏は提案する。
■金融庁試算は1500万円~3000万円の不足
金融庁が3年前にまとめて世間をざわつかせた「老後2000万円足りない問題」。試算では、95歳まで長生きするものとし、65歳以降の30年分の生活費を約9000万円として計算。これに住宅修繕費や医療費など500万~1000万円、介護費用0~1000万円が加わるので、トータルでは9500万~1億1000万円かかる。
これに対し、95歳までに受け取る年金は月額22.1万円の30年分で約8000万円。つまり、1500万~3000万円のマイナスとなり、その間を取って「2000万円問題」となった。
ただし、金融庁は老後の生活費を毎月24万7701円(2017年度の65歳以上世帯の平均額)として計算しているが、実際のところ、同じ高齢者でも75歳以上の世帯になると月の生活費はグンと減り、22万2395円(同じく2017年度)に減少する。
この金額で改めて計算すると、不足分は1000万円程度にまで圧縮する。要するに、当てはめる数字はさまざまに変わるので、「老後2000万円問題」は心配しすぎてもダメなのだ。
月1万円~2万円をやりくりすれば何とかなる
「杞憂とは、中国古典の列子にある言葉で、天地が崩れ落ちるのではないかと心配で夜も眠れず、食事ものどを通らないという人がいた故事にちなみます。現実にはそんなことはあるはずもなく、取り越し苦労に終わるもの。生活費が足りないのなら、足りないなりの生活をするだけ。また、お金を使わないのも稼ぐのと同じです」(向谷匡史氏)
もっとも、年金に関しては、同じ高齢者でも80代と60代ではまるで違う。厚生年金(1号)の平均受給額は「85~89歳」が16万2705円で、「80~84歳」は15万9529円、「75~79歳」が15万569円、「70~74歳」は14万5705円、さらに「65~69歳」は14万3069円となり、60代と80代では実に1.5万~2万円ほどの違いがある。なぜ、こうした差が生まれるかというと、段階的に金額を引き下げられているからだ。
ちなみに、厚生年金の平均受給額は2020年末の時点で14万4366円。男性の16万4742円に対し、女性は10万3808円となっている。平均額ではなく、中央値で見ると、「9万~12万円」が全体で2割を占める。逆に月20万円以上の年金をもらっている人は全体の16.1%、25万円以上となると1.8%しかいない。
年金財政が苦しいからといって、つみたてNISAやiDeCoに誘導する記事をよく見かけるが、これから年金生活に入っていく人は月に1万から2万円くらいの節約は必要になるかもしれない。
ぜいたくをしたいと思えばキリがない
では、どうすればいいのか?
最も手っ取り早いのは、物価が安く、消費支出の減る地域への移動だ。都道府県別の消費支出(全世帯=2019年度)を見てみると、東京都24万1293円、神奈川県24万9196円、愛知県24万4450円、兵庫県24万8225円と都市部は軒並み24万円超え。一方、全国最少の沖縄県なら19万9122円、和歌山県も20万8652円と支出を抑えられる。人口5万人以上の都市との比較では、甲府市、静岡市、松江市、山口市、長崎市、宮崎市などが月22.2万円より安く生活できる。
「爪に火をともすような生活は長くは続きません。これに対し、スマホ料金や生命保険は支出も大きいため、契約の見直しで絶大な節約効果が期待できます。高騰するガソリン代については、ポイント還元率の高いガソリンスタンドを探すのも大切です。ENEOSは、ENEOSカード利用でガソリン・軽油が最大1リットル7円引きになります。ただ、究極の節約は自家用車に乗らないことです」(生活経済ジャーナリスト・柏木理佳氏)
自動車の保有ぐらい、週1の外食ぐらい……という時点で昭和の感覚に毒されている。
「仏教には、他者と比較してはいけないという教えがあります。ところが、先日のオリンピックでも、やはりメダルの数を競ってしまう。煩悩のなせる業でしょう。昭和の時代は『平均的』『~であらねば』というものを求めましたが、私は最近、近所のワークマンに行って作業着や手袋を選んでいるだけでも楽しいと感じています。ぜいたくをしたいと思えばキリがなく、どこで手を打つかの問題。手を打つのは自分自身です。自動車を持たなくていいと手を打つのも、近年はやりのSDGsです」(向谷匡史氏)
大金に囲まれるより、笑顔の人に囲まれる方が楽しそうだ。