まさに「老害」…“社長キラー”と呼ばれた旭化成の宮崎輝
前回は反バブルの正の遺伝子は受け継がれているかと問うたが、今回は負のそれが断たれているかと尋ねたい。
この会社で長く社長の座を占め続けた宮崎輝は“社長キラー”と言われた。会長になってもその座を退きたくないために次々と社長を交代させ、果ては、いっそ社長を複数にしたらと放言したからである(1961年から85年まで代表取締役社長、92年の死去まで代表取締役会長)。
死ぬまで社長をやった帝人の大屋晋三(任期は1945から47年、56から80年)は、副社長の首をすげかえて“副社長キラー”といわれたが、甲乙つけがたい老害経営者の双璧だった。
作家の杉田望の小説『人事権執行』(KKベストセラーズ、講談社文庫に入る時に『管理職の叛旗』と改題)に、宮崎は「三崎化成の土居盛助」として登場する。
土居は「実に23年間にわたり、社長の椅子に座り続け、さらに会長に就任して以降も、競争相手を次々と葬り去り、強烈なワンマンぶりを発揮、業界でも異例の長期政権を確立」した。