財テクに走らなかった硬骨漢 住友電工の川上哲郎に関経連はイヤガラセをした
「電線首位」のこの会社では会長だった川上哲郎を思い出す。川上は城山三郎と一橋大同期で骨のある経営者だった。
「財テクをしない経営者は化石人間だ」と主張した長谷川慶太郎などに煽られて、多くの経営者が“濡れ手で粟”の財テクに走り、まもなくバブルが崩壊して、それこそ泡を食っていたころ、私が彼らに申し込んだインタビューは軒並み断られた。己の経営哲学のなさを私に糾弾されると思ったのだろう。
その中で、怯むことなく応じてくれた数少ない経営者の一人が川上だった。川上は財テクを退けたから逃げる必要がなかったのだ。
あの当時、財テクをやらないことには勇気と哲学がいった。私が川上に、部下たちが財テクをやろうと言ってきたのを拒否する時、迷いはなかったかと尋ねると、
「なかったですね。基本的に、それはやるべきではないと考えていましたから。やるべきでないというよりも、打算もあったんです。どうせうまくいかないという(笑)。だって専門家がいる分野ですからね。そんなところに入っていって、うまくいくわけがない」