【金丸脱税事件】異聞(9)移動されていた金庫。捜査情報が漏洩していたのか?
1993年の3月6日午後3時32分、衆院予算委員会で予算案通過。午後4時2分、本会議開始で議場が閉鎖されるのを待って特捜部は捜索令状を請求した。捜索は午後4時半に始まった。
金丸らの身柄拘束以上に特捜部長の五十嵐紀男が神経を尖らせたのは、金丸の脱税容疑の物証となる20数億円相当のワリシンを金丸側から確実に押収することだった。捜索令状を早く請求すると、裁判所で記者に情報が漏れる恐れがあるとしてぎりぎりまで令状請求をしないことにしていた。
まもなく、衝撃の報告が飛び込んできた。内偵捜査では、金丸のワリシンは、国会近くのパレロワイヤル永田町ビル11階にある金丸の個人事務所の金庫に保管されているはずだった。ところが、その金庫が影も形もなかったのだ。
五十嵐は真っ青になった。金丸側がそのワリシンを自民党の資金団体、国民政治協会に持ち込み、「寄付」として処理してしまうと、「政治資金」の性格が強くなり、脱税に問うことが難かしくなる恐れがあった。訴追できなければ、「検事総長以下、ラインの幹部は全員クビ」(五十嵐)だった。
捜索班の検事に「見つかるまで帰ってくるな」と電話で怒鳴った。普段は温厚な五十嵐の鬼の形相に、捜査指揮所に応援派遣されていた国税局の査察官らは震えあがった。
若手の特捜検事、北島孝久が金丸の二男から、パレロワイヤル4階の別の部屋を借りて金融債の入った金庫を移したことを聞き出し押収したのは、高橋武生東京地検次席検事が金丸らの逮捕発表文を読み上げた後だった。