政界は、日本皇民党側に竹下ほめ殺しの中止を求めて再三アプローチしていた。すべて失敗に終わったが、それ自体がニュースだった。その全容を語ったとされる皇民党2代目総裁のOの供述調書が明らかになるのは1992年11月5日、東京佐川元社長、渡辺広康の公判でのことだ。特捜部が作成したOの… 
                
                                                    
                                
                                                        
                                                    
                                
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