アシスト 大塚辰男社長(1)働いたスナックでお客さまに教えてもらった「機を捉える力を養う」が自分の羅針盤
その後、友人に誘われて、仕事先をホテルにウエーターを派遣するところに変えた。
「時給は当時の相場の2倍以上。しかも10日ごとに支払ってもらえる。忙しかったが、仕事はおもしろかった」
大塚はプロのウエーターとして3年ほど働いた。当然20歳は過ぎていて、大学に行った高校の同級生は卒業して就職する頃だった。 このままではいけないと思いはじめていて、母からも「社会保険のある会社に勤めなさい」と厳しい命令。そんな折、大学でロシア文学を専攻した高校の友人と酒を飲んだ。文系なのにコンピューター会社に就職したという。
「彼は『仕事はおもしろいし、将来性もある業界だ』と言うんです。『おまえは仕事はできるほうなのか』と聞くと、『すごくできる』と。彼ができるなら自分もできると、彼の言葉がきっかけでこの業界に入りました」
当時のコンピューター業界は、一般的な教養さえあればコンピューターの知識がなくても、入社してから教育すればいいと、どんどん採用していた。大塚は菱友計算(現菱友システムズ)にSEとして採用された。それまでコンピューターを使ったこともなかったので、仕事をしつつ、本を買い込んで勉強に励んだ。