不破哲三共産党前議長「70年代の自民党は傲慢ではなかった」
40年前というのは、田中、三木、福田内閣と続いた頃で、当時の国会論戦は非常に面白かった。なぜかといえば、政府が真剣だったからです。
例えば、私は74年1月の国会質問で、米原子力潜水艦が寄港する際の放射能調査のデータ捏造問題を取り上げました。原潜が入港するたびに作成している、政府の放射能測定値の捏造ぶりを指摘したのです。それを突き付けると、田中角栄首相は完全に「参りました」となり、原潜の入港は183日間ストップしました。
後に米国務省が公開した資料を見ると、当時のキッシンジャー国務長官は「早く解除しろ」と日本政府に強く迫っていたようですが、田中内閣は頑張っていましたね。今の安倍政権は米国の言いなりですが、70年代当時の日本政府は米国に対してもある程度、気概を持って対していたのです。
78年2月の国会質問で千葉・柏市の通信施設「ロランC基地計画」を追及した際の政府対応も真剣でした。この施設は「平和な灯台」という触れ込みでしたが、原潜などが航行する際の位置確認に使うため、戦争になれば真っ先に攻撃対象になります。だから、どの国も地図にも出ていないような小さい集落に設置していた。日本のように人口密集地に造ろうとしている国はどこにもないわけです。それを当時の金丸信・防衛庁長官にぶつけると、計画は1年後に白紙撤回になりました。金権政治の親玉のようにいわれる田中角栄と金丸信ですが、国政の場では野党の声に真摯に耳を傾け、対応することがあったのです。