「酒場とコロナ あのとき酒場に何が起きたのか」大竹聡著/本の雑誌社(選者:稲垣えみ子)
先の見えない苦境に皆、商売の根っこを見つめていた
「酒場とコロナ あのとき酒場に何が起きたのか」大竹聡著/本の雑誌社
つい数年前のコロナ禍に自分がどうしていたかが驚くほど思い出せない。悪夢すぎて記憶にフタをしているのだ。何が悪夢って、人とのリアルなつながりが悪とされたこと。50歳で会社を辞めたものの、近所の人と助け合いながら「街をわが家」として生きることに活路を見いだしていた身にはまさかの事態であった。ウイルス蔓延と同じくらい、その価値観蔓延が怖かった。
でもそれ以上に恐ろしかったのが、あろうことか自分も人を疑い始めたことだ。用心しすぎる人を疑い、用心しなさすぎる人を疑い、人を糾弾する人も糾弾される人も疑った。つまりは隣人を信じ切れなかった。コロナは5類に移行しズルズル日常が戻っても、その悪夢の価値観はウイルス同様どこかで生きている気がして、アレは一体何だったのかを曖昧にして生きている。
そんな時、この本に出会った。いや、本当に読んで良かったと思う。
タイトル通り、コロナに翻弄された酒場を訪ね歩いた記録だ。著者は酒場取材歴30年の大竹聡氏。酒場の灯が軒並み消えた事態に、飲んべえ代表とも言える氏の危機感たるや私の比じゃなかったと思うが、「今どうしているか」「これからどうしようと思っているか」にひたすら耳を傾けた文章からジンジン伝わってきたのは、「酒場とは何か」ということであった。先の見えない苦境に陥ったからこそ、店の人は皆、自分たちの商売の根っこのところを見つめていた。そして、驚くほど多くの人が同じことを言っていた。
それは、酒場とは結局「人」ってことだ。酒と肴がうまいとか安いとかに注目が集まるが、本質はそこじゃない、馴染みの店に行き店の人と会う、客同士が会う、それが楽しくて人が集まる。そんな場所がなくなった時、そんな場所のかけがえのなさを、その中心にいた店の主たちはひしひしと感じていたのだ。だから休業期間中も店に通い、掃除をし、体を鍛え、慣れぬテイクアウトやネット販売を始め、気持ちを切らさず生き抜いた。そしてようやく営業再開がかなったとき、とにかくお客さんの顔が見られたことがうれしかったと皆一様に言うのである。
私が人を疑っていたとき、人を信じ続けて待っていてくれた人がいた。私ができなかったことを、ちゃんとやっていた人がいた。それは今ここにある希望だ。私もこれからはそのようにありたい。とりあえずは馴染みの店で一杯やりにいこうっと。 ★★★