「動カナクナルマデ居テ」コサカシンタロウ著
「動カナクナルマデ居テ」コサカシンタロウ著
誰しもが逃れることができない死。それが己に訪れた後には何が残っているだろうか。人生を重ねる中で、誰もが一度は考えることだろう。
「もし『死』を迎える前に何か残すとしたら?」という問いに、著者が「最期に残したいもの」として形にしたのがこの写真集だそうだ。
ゆえにか、全編を通して作品には死もしくは喪失のイメージが漂う。
最初のページには海岸の波打ち際で小さなヌイグルミを手にした少年が写っている。
次のページには、少年の手を離れ波をかぶったヌイグルミとその場を駆け去っていく少年の影が。
少年と共に長い時間を過ごしてきたと思われるヌイグルミはややくたびれており、一部が欠損しているようにも見える。
同じページには、花びらをむしり取られた花の残骸がコンクリートの地面に落ちている。
さらに次のページには廃虚を思わせる空間でさびた台車の上に花束が2つ置かれている。
それはまるで、誰かの死を悼む供花にも見える。
作品には一切の説明はなく、表題と同じ「動かなくなるまで居て」のフレーズが添えられた冒頭の作品群をはじめ、随所に添えられた詩句のようなキャプションを手掛かりに読者は作品と向き合う。
「それは、後悔のためだけに在る」というキャプションを添えられた一連の作品には、やはり海辺の波打ち際にいる女性を撮影した作品が並ぶ。白いノースリーブのワンピースを着た若い女性は、濡れるのもかまわず波打ち際で座ったり、横たわったり、波をかぶり重くなったワンピースは砂で汚れている。
よく見ると、その左手には過去のリストカットの痕跡が無数に筋を作り、その生きてきた時間の苦悩が垣間見える。
次のページには一転して水面に浮かぶ麦わら帽子が写っており、何やら不穏な空気を感じ胸がざわめく。
このように作品を細部まで見つめ、わずかな手掛かりをもとに読者が読者なりの物語を紡ぎ出すよう迫ってくる。
「投げ出して恋情」との言葉が添えられたパートでは、ランドセルが空高く舞い上がる作品から始まる。
一見すると躍動感にあふれているが、よく見ると、背負いベルトは留め金からはずれ、跳ね上がり、やがてランドセルはプールの廃虚のような場所に打ちつけられ、無残な姿をさらす。
さらに「抱きしめる混沌」のパートでは、火葬後の収骨のシーンや墓じまいを終えた墓地などの写真とともに誰かの死を悼んでいるような女性と子ども、「醜いダンスを踊れ」のフレーズを添えた作品では浜に打ち上げられ、波に洗われるクジラの死骸が被写体となっている。
ほかにも、電子機器やヌイグルミの成れの果てなど、そこに写るのは、誰かのものだったモノが所有というしばりからはずされ自由になった姿なのかもしれない。
作品と向き合いながら、死と再生、輪廻などさまざまな思いが回る。
(みらいパブリッシング2970円)