所属先が突然の活動休止…体操金メダリストの兄と28年ロス五輪目指す弟が苦難を激白
五輪のメダルよりも明日の練習場所ーー。そんな不安と闘う兄弟がいる。2016年リオ五輪男子体操団体総合で金メダル獲得に貢献した加藤凌平コーチ(31)と弟の裕斗(28)だ。昨年11月、体操界のレジェンド内村航平も所属した名門コナミスポーツが体操社会人部門の活動休止を発表。これをきっかけに、加藤兄弟は拠点を追われ、同社最後の選手だった裕斗は今年2月に退社。生まれ故郷の埼玉県草加市の地元企業、エスシーエス株式会社(以下SCS)と契約した。凌平コーチもSCSと契約し、裕斗の専属コーチに就任。夢を追う兄弟が抱える問題に迫った。
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ーーコナミスポーツ廃部の一報を聞いたときの心境は?
凌平 まさかなくなるとは思っていませんでしたね。私はちょうど引退を決めていたので、現役としての影響はなかったですが、そのままコナミスポーツのコーチに残るイメージがあったし、コナミスポーツの監督になるのが夢だったので、急になくなってどうしようという感覚でした。
裕斗 引退は考えなかった一方で、どう体操を続けていこうかという思いがありました。廃部と言われたのが、大学生の所属先が内定してくる7月末という微妙な時期でもありましたし、これから移籍先を探すとなると時間が足りるのかと。他の会社に移籍という選択を取ったときに快く受けてくれるかなというのもありました。
ーー具体的に所属先を求めて動き出したのはいつ頃なのでしょうか。
凌平 本格的に動き出したのは昨年10月頃です。休止を聞いた後も、どうにか競技部が存続してくれないかなという道も模索していたので、現状をなんとか打破できないかとコナミスポーツの事業部にかけあっていた時期もありました。7月末から月1度のペースで競技部存続のために面談を続けていました。それでも、競技を続けたければ会社を辞めるか、競技を辞めて会社員としてコナミスポーツに残るかという2択しかなかった。会社員の場合、インストラクターとして残る道でしたが、練習や試合は普通の仕事を終えてからの遅い時間か早い時間しかなく、競技に専念できない。会社を辞める選択肢しかありませんでした。9月頃にはどう頑張っても存続は無理だなと思い、そこから動き出した形です。
ーーコナミ活動休止の記事が掲載されたのが昨年11月。お2人が通達されてから4カ月が経ってからだった。
裕斗 僕らもそれまでは公にできなかったので、(11月に)そのニュースを見たときにびっくりしたんです。
凌平 僕らも大々的に言えないからスポンサーもあまり積極的に当たることができませんでした。
ーー公表のタイミングは知らされていなかったんですか。
凌平 まったく知らなくて、本当にびっくりしましたね。朝起きて携帯(でニュース)を見たら「出てる!」って。
裕斗 「ニュースになってるぞ!」ってなったね。
凌平 その日も練習があったので、練習場所で「出てたね」と。
裕斗 「出るの知ってた?」「知らない」って話しました。
凌平 報道してくれたおかげで動きやすくなったのは良かったですね。
ーー存続の交渉や就職活動は?
裕斗 存続については監督(父の裕之氏)であったり、コナミスポーツに所属していた選手たちとやっていました。
凌平 草加市のスポーツ振興課に相談して、商工会や市の人に繋いでもらい、スポンサー探しを始めました。スポンサー営業は2人で資料を作って、商工会議所の方に紹介してもらった方に挨拶して回りました。