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村西とおる監督が語る 英会話学校経営からエロ世界への転身

「ウソだろ」と笑われそうですが、70年代の私は教育産業に従事してました。北海道で百科事典を販売してたんです。オックスフォード大の卒業者も読めないような英語の難しい事典ですが、1週間に20セット売ったこともあります。

 当時の北海道は札幌五輪(72年)の影響で国際感覚が広まり、英語をしゃべりたいという人が増えていました。そこで英会話学校を思いついたのです。さっそく札幌の石山通りに教室を借り、73年に米国人の講師を集めて開講しました。月謝は3000円で生徒数は約500人。8割が若い女性でした。年商1500万円以上で、私は年収500万円だから楽しく暮らせました。

 そのころ米俳優チャールズ・ブロンソンが大人気で、女性の目に白人講師はブロンソンに見えたようです。講師は米軍の脱走兵や大工、農夫などでまともに大学を出たヤツなんかいない。それでも女性生徒は色目を使い、講師とセックスするんです。講師を取り合って取っ組み合いしたり、妊娠させられて親が怒鳴り込んできたこともあった。これでは英語を勉強しにきているのかセックスしにきているのか分かりません。一方、講師もやり放題で、調べたら生徒10人に手を出した男もいました。

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