「任侠山口組」から「絆會」へ名称変更したホントの理由
指定暴力団「任侠山口組」が12日、組織の名称を「絆會」に変更し、同日付の通知文で傘下組織に通達した。これまで使用していた6代目山口組と神戸山口組と同じ「山菱」の代紋も変更する。
2015年8月、「山口組」が分裂して「神戸山口組」を結成。さらに17年4月には神戸山口組の若頭代行を務めていた織田絆誠代表(53)ら一部勢力が同組から離脱し、任侠山口組を設立した。
分裂から3年を迎えた18年8月には、任侠山口組が解散した上で6代目山口組が構成員を受け入れる動きが伝えられたが、結局、話は物別れに終わり、一緒になることはなかった。
■「特定抗争指定回避のため」ともっぱらだが…
以降、表立った対立抗争は減ったが、昨年10月、6代目山口組の高山清司若頭(72)が出所すると、状況は一変。神戸山口組の古川恵一幹部(当時59)が自動小銃で射殺されるなど、抗争は一気に激しさを増した。これを受け、兵庫、愛知などの6府県の公安委員会は「6代目山口組」と「神戸山口組」を、両組織の活動を厳しく制限する「特定抗争指定暴力団」に指定し、7日に発効。任侠山口組の名称変更は、まさにその直後のことだった。