北朝鮮拉致事件 消えた兄を探し続ける藤田隆司さん 特定失踪者家族の癒えぬ苦しみ
北朝鮮拉致事件 特定失踪者家族・藤田隆司さん/特定失踪者問題調査会・荒木和博代表
北朝鮮からの脱北者が2003年に持ち出した1枚の写真は、鑑定すると1976年2月7日に行方不明になった藤田進さん(当時19)だった。弟の隆司さん(64)は埼玉県警に告発状を提出し、自身でも調査しながら「特定失踪者家族会」の活動を続けていたが、21年12月に倒れて現在も闘病中だ。
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「1つ年上の兄貴が突然いなくなったのは俺が高校3年の2月、大学受験の真っ最中でした。結局受験に集中できなくなり1浪し、学費を稼ぎながら夜学へ通って建築関係の仕事に就いたのですが、なるべく兄貴のことは忘れようとしました。親父は『大学にも進学できるような良い環境を捨てやがって』と言っていましたね。兄貴のことは家出したと思っていて、『そんなに俺が嫌いだったのか』と長年恨んでいました」
2018年夏の取材時、隆司さんはこう話していた。父は川口市の鋳物工場に勤務、母は中学2年の時に病死し、男3人で家事を分担する暮らし。失踪当時に進さんは、東京学芸大学の1年生でラグビー部に所属し、将来は体育の教師を目指していたという。
ある時、「新宿方面のガードマンのアルバイトに行く」と父に告げて自転車で自宅を出たが、帰宅することはなかった。後日、自転車は川口駅前の自転車置き場で確認された。当時、隆司さんは毎日、電話帳を片手に新宿周辺の警備会社に問い合わせをしたが、進さんを採用したところは見つからなかったという。
身元不明の遺体閲覧の案内状が届くたびに警察署に出向き、何人もの遺体写真も確認したが、兄の姿を見ることはなかった。進さんは小中学校時代の友人に「勉強しながら稼げるいいアルバイトがある」と話したそうだが、結局、消息も安否もわからずじまいだった。
ところが28年も経った04年の夏に事態は一変する。「特定失踪者問題調査会」の荒木和博代表から「大事な話があるからすぐ来てくれ」と電話があり、向かった先でTBSテレビ「報道特集」の当時の担当者から1枚の写真を差し出された。
脱北者が北朝鮮から持ち出したというその写真は、法人類学の権威である橋本正次・東京歯科大助教授(当時)が鑑定し、藤田進さんである可能性が極めて高いと結論づけられた。警察も独自に鑑定を行ったが、同様の結論を得ている。
■勤務先から自己都合退職を強要された
隆司さんは本腰を入れて兄を捜し始めた。拉致問題を訴えるために講演や署名活動も行った。勤務先から自己都合での退職を強要されたが、高齢者施設を2つ掛け持ちし夜勤もこなしながら、昼間の空いている時間を活動に充てた。
「きっと進は生きている」と進さんの帰国を待ち望んでいた父親・春之助さん(当時95)は、残念ながら他界してしまったが、隆司さんは、地方の「救う会」関係者と東京都内にある約50カ国の大使館を訪問し支援を要請したり、スイスのジュネーブで国連人権委員会に出席し失踪者問題を訴えた。