星野仙一さんが「宇野ヘディング事件」でブチギレた本当の理由…宇野は後日“オカマを掘る”失態を重ねた
中尾孝義氏による「革命捕手が見たプロ野球」(第2回=2022年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は故・星野仙一氏について綴られた、中尾孝義氏による「革命捕手が見たプロ野球」(第2回=2022年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
◇ ◇ ◇
私が中日に入団した1981年8月26日、世紀のあのプレーに立ち会った。
場所は巨人の本拠地・後楽園球場。中日の先発は星野仙一さんだ。すでに晩年だったが、「巨人戦はテレビに映るから、みっともない試合はできん」と言って、この日も気合が入っていた。新人捕手だった私は、この試合でバッテリーを組んでいた。
星野さんは六回まで巨人打線をわずか2安打無失点に抑えていた。中日2点リードで完封勝利が見えてきた七回2死二塁、巨人は代打・山本功児さんを送ってきた。