「沈黙の咆哮」貫田晋次郎著

公開日: 更新日:

「沈黙の咆哮」貫田晋次郎著

 1993年4月から8月にかけて、埼玉県北部で「死体なき連続殺人事件」が起きた。次々に毒殺された4人の被害者の死体は切り刻まれ、焼かれ、山林や川にまき捨てられた。主犯は犬の繁殖・販売業を営む元夫婦。「埼玉愛犬家連続殺人事件」と呼ばれたこの事件はセンセーショナルに報じられ、小説や映画にもなった。

 猟奇的なイメージが先行したこの事件の実相を、捜査した側の視線で描いた鬼気迫るノンフィクション。著者は埼玉県警で捜査の指揮をとり、公判、判決まで深く関わった。捜査の展開、現場の緊張感、容疑者の人物像、裁判の様子などがリアルに描かれている。

 死体なき殺人事件の捜査、立証は困難を極める。死体という最大の物証がないからだ。解決への糸口は夫婦が経営する会社の役員の証言だった。死体の損壊と遺棄に加わったという男の「秘密の暴露」にもとづいて、損壊に使われた男の自宅、死体や所持品を投棄した山林や川の捜索が始まった。雪が積もる酷寒の中の捜査は4日間続き、最終日の5日目に奇跡が起きた。ライター、鍵、ブリッジの義歯など、被害者の所持品が発見されたのだ。姿なき被害者の導きだったのかもしれない。

 地を這うような捜査を経て、事件を検察に送致した後も異例の補充捜査が続いた。担当検事との息詰まるやりとりもあった。捜査責任者である著者は、検察側の証人として出廷もした。長い裁判の末、2009年に最高裁で主犯2人の死刑が確定した。

 事件から30年を経た今も、著者は事件を背負い続けている。実は、裁判に至った4人の殺害事件の10年ほど前にも、夫婦の周辺から3人が失踪している。いずれも夫婦との間に金銭トラブルを抱えていた。この3人の事件はいまだ解決されず、闇の奥に沈んでいる。「無念を訴えることもできない者たちの声なき声、叫びを、せめて文字に換えて残したい」との思いで本作を書いたという。いくつもの難事件に挑んだ伝説の捜査官の独白から「命への責任」を負う仕事の重さが伝わってくる。

(毎日新聞出版 1980円)


【連載】ノンフィクションが面白い

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    侍ジャパンに日韓戦への出場辞退相次ぐワケ…「今後さらに増える」の見立てまで

  2. 2

    大谷翔平は米国人から嫌われている?メディアに続き選手間投票でもMVP落選の謎解き

  3. 3

    “新コメ大臣”鈴木憲和農相が早くも大炎上! 37万トン減産決定で生産者と消費者の分断加速

  4. 4

    侍J井端監督が仕掛ける巨人・岡本和真への「恩の取り立て」…メジャー組でも“代表選出”の深謀遠慮

  5. 5

    阪神の日本シリーズ敗退は藤川監督の“自滅”だった…自軍にまで「情報隠し」で選手負担激増の本末転倒

  1. 6

    新米売れず、ささやかれる年末の米価暴落…コメ卸最大手トップが異例言及の波紋

  2. 7

    藤川阪神で加速する恐怖政治…2コーチの退団、異動は“ケンカ別れ”だった

  3. 8

    矢地祐介との破局報道から1年超…川口春奈「お誘いもない」プライベートに「庶民と変わらない」と共感殺到

  4. 9

    渡邊渚“逆ギレ”から見え隠れするフジ退社1年後の正念場…現状では「一発屋」と同じ末路も

  5. 10

    巨人FA捕手・甲斐拓也の“存在価値”はますます減少…同僚岸田が侍J選出でジリ貧状態