石橋湛山と保守本流(4)岸信介との奇妙な連携で「小日本主義」は成功した

敗戦が避けられなくなった昭和19(1944)年、大蔵省内に設置された「経済特別調査室」で、東洋経済新報社社長だった石橋湛山は「四つの島になったら、やり方によってはそれはできる」と主張した。しかし、気鋭の経済学者たちも、それに同調する人はいなかったという。
その場にいた中…
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