シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(20)サイパン陥落で加速した日本のウラン爆弾開発

繰り返すことになるが、日本のウラン爆弾の研究、製造、開発は、昭和19(1944)年6月のサイパン陥落までは研究姿勢も曖昧であった。陸軍に協力要請された科学者は、本心では研究主体でありながらも、表向きは製造も進めよと圧力をかける軍事機構の指導部には従っているかのように装っていた。…
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