シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(22)53年後に外務省が電報遅延の実態を公表した理由を探る
外務省がなぜ53年後の平成6(1994)年11月に、電報遅延の実態を公表したのであろうか。この時の内閣は、村山富市首相の時代である。その前年(平成5年8月9日)、日本新党の代表である細川護熙は、日本新党、新生党、公明党、社会党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合など8党派の推薦…
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