いつも身代わりになってくれた謝りたい「先輩」捕手がいる
好きだったのは横浜時代の相川亮二(現巨人)だ。3歳年下だが、ボクが弱気になると活を入れて怒ってくれる頼もしい存在。相手や状況を見ながら裏付けのあるリードをする。配球に意図があるので打たれても仕方ないと思える。ボクは全幅の信頼を寄せていた。
思い出す、というより謝りたいのが、中日時代にバッテリーを組んだ東北福祉大の先輩でもある矢野燿大さん(現阪神作戦兼バッテリーコーチ)。ボクが打たれても、当時の星野仙一監督は決まって矢野さんを呼びつけた。
「おい矢野、何であそこに投げさせたんや! あの場面はアウトコースやろ!」
試合中でもお構いなしに星野監督の怒声がベンチに響く。だが、たいていは矢野さんの要求通りにボクが投げ切れなかったことが原因。それでも矢野さんは「いや、門倉が……」とは言わずにかばってくれた。ボクは星野監督から最も離れたベンチの端から「やべー、先輩が怒られてる。すいません……」と心の中で謝りながら申し訳ない気持ちになっていた。
ベンチといえば、中日時代は暗黙の了解で座る位置がだいたい決まっていた。星野監督の陣取る所から、若手→中堅→ベテランの順に離れていく。投手は一番遠い場所が定位置となっていた。しかし、当時エースの今中慎二さんだけは真ん中から監督寄りに座った。監督に怒られないから無頓着だった。ボクにプロの厳しさを教えてくれたのは、その星野監督だった。




















