金本のFA移籍で大ブレーキ…新井「4番を外してください」
2年後の05年、打率・305、94打点、43本で本塁打王を獲得。この時は自分のことのようにうれしかったが、43発や自身初の3割超えより、引っ張り専門だった新井が逆方向へ打てるようになり、打点が36から94に増えたことを私は評価した。
■大下ヘッドの過酷な練習に耐えた頑健な体
駒大から1998年のドラフト6位で入団後、大学の先輩でもある大下剛史ヘッドコーチに徹底的にしごかれ、ここまでの選手に成長した。駒大時代に突出した成績を残したわけではない。守備力もなかった。だから、朝からノックを受けて泥にまみれた。守備から打撃まで、やることは山積みだった。大下ヘッドからすれば、後輩だし、なんとかモノにしてやりたいということだったのだと思う。地元・広島出身で体が大きいという長所こそあったものの、周囲は新井を「化けたらいいな」程度にしか見ていなかった。モノになった一番の要因は、大下ヘッドにしごきのような過酷な練習を課されても、故障をしない頑健さがあったことだ。
07年オフに阪神にFA移籍した時は驚いたが、14年オフに古巣・広島に復帰。FAでチームを出た選手は二度とカープに戻れないという暗黙の了解があったが、新井のプレーや人間性がファンや球団に受け入れられたということだ。