「怪童」中西太さんに選手に寄り添うコーチングを学んだ
指導者になった時、自分のことを選手として育ててくれた中西太さんをお手本にした。
私がヤクルトアトムズの選手2年目を迎えた1971年、義父でもある三原脩監督と一緒にヤクルトにやってきた。選手時代に「怪童」と呼ばれた中西さんは、ヘッドコーチに就任。私はその年に入団してきた若松勉と一緒にしごかれた。
中西コーチは、当時はまだ多かった大声を張り上げるスパルタ型の指導者ではなく、身ぶり手ぶりを使い、時には実践しながら教えるタイプだった。説明はシンプル。大事なのはこれだとよく言われたことがある。
■人によって変える練習、質より量
「下半身は苦しく、上半身は柔らかく使え」
これをひたすら反復する。ある時、一緒にやらされているのに、若松と内容が違うことに気が付いた。中西コーチに聞くと、答えはこうだった。