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秦真司野球解説者

1962年、徳島県生まれ。鳴門高を経て法大4年時に日本代表としてロサンゼルス五輪で金メダルを獲得。84年、ドラフト2位でヤクルト入団。90年に捕手から外野手に転向。92年の西武との日本シリーズ第6戦でサヨナラ本塁打を放つなど強打の野手として活躍した。現役通算16年間で打率.262、97本塁打、341打点。2001年にロッテの二軍打撃コーチ、05、06年に中日の捕手コーチ、08~11年はBCリーグ群馬の監督、12年から巨人の一、二、三軍バッテリーコーチを歴任。17年限りで退団も19年に巨人に復帰し、ファームバッテリー兼打撃コーチ。現在は野球解説者。

ヤクルトユマキャンプの珍騒動“国境越え”で監禁騒動に発展

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■マウンドで投手の足をグリグリ踏んづけ……

 打たれてピンチになると、関根監督がゆっくりとマウンドに向かってくる。そして投手に向かって「大丈夫か~? しっかり投げろよ~」とニコニコしながら、下では投手の足をグリグリ踏んづけている。強い口調では言わないし、一見、紳士的ではあるが、やることはかなりドギツかった。

 中途半端が嫌いな監督で、「ブンブン丸」こと池山隆寛は本塁打と共に三振も多かったが、思い切って振った空振り三振は、とがめなかった。

 私は関根監督2年目の88年に正捕手に抜擢された。池山の他に野手では、栗山英樹さん、広沢克己(現・克実)、荒井幸雄、笘篠賢治……。投手では高野光さん、内藤尚行、伊東昭光、荒木大輔らを我慢強く起用した。

 関根政権の3年間は4、5、4位でいずれもBクラスだったが、この時育てられたメンバーの多くは、野村克也監督となる90年代に花を咲かせ、黄金時代を築く礎となった。いわば地ならしの役目を担った関根監督は後に「あの時は優勝できるとは思わなかったけど、優勝できるチームにするために、選手を育てなきゃいけないとは思っていた」と振り返っている。

 私が入団した時の土橋正幸監督は江戸っ子気質で短気。みんな怯えながらプレーしていたが、さらに激情家だったのが、私が現役最終年に在籍したロッテの山本功児監督だ。

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