正義を名乗らずに立ち続ける少年の倫理 『幽☆遊☆白書』(全19巻) 冨樫義博作
『幽☆遊☆白書』(全19巻) 冨樫義博作
★あらすじ
不良少年・浦飯幽助が事故死をきっかけに霊界探偵として蘇り、人間界と魔界の狭間で起こる怪事件に挑む物語である。霊感を持つ仲間・桑原和真、妖怪の蔵馬と飛影と出会い、幽助は強敵との死闘を通じて力と覚悟を磨いていく。やがて舞台は暗黒武術会、魔界統一トーナメントへと広がり、単なる善悪を超えた価値観の衝突が描かれる。勝利や成長だけでなく、仲間との絆、選択の重さ、人としてどう生きるかを問う、熱量と思想性を併せ持つ少年漫画。
この作品は、少年漫画の王道をなぞりながら、静かにそこから外れていく。霊界探偵、妖怪、バトル。導入だけを見れば、同時代の週刊少年漫画に連なる、きわめてわかりやすい設定だ。しかし読み進めるにつれ、読者は次第に小さな違和感を覚える。努力すれば必ず勝てるわけではない。正しい行いが、必ず報われるとも限らない。少年漫画が長年培ってきた「理解しやすさ」「納得しやすさ」を借りながら、その前提条件だけを少しずつ削り落としていく。その静かなズレが、作品全体に独特の手触りを与えている。
主人公・浦飯幽助は、理想的なヒーロー像から意図的に距離を取っている。粗野で怠惰、口が悪く、感情の起伏も激しい。世界を救う使命感や、高邁な理想を語ることもほとんどない。彼を突き動かすのは、目の前で誰かが傷つけられることへの、即物的で短絡的な怒りだけだ。幽助は正義のために戦わない。嫌なものを嫌だと言い、殴られたら殴り返す。その姿勢は未熟で幼稚にも見えるが、そこには一切の建前がない。この単純さと不器用さが、結果として物語の重心を安定させている。
敵キャラクターの描かれ方も、この作品の価値を押し上げている要素だ。彼らは単なる「倒されるべき悪」ではなく、それぞれが理由と事情を抱えた存在として描かれる。暗黒武術会以降、敵と味方の境界線は急速に曖昧になる。勝者が正義で、敗者が悪であるという単純な図式は成立しない。ただ、生き方や選択が違っただけだ、という視点が一貫して貫かれる。少年漫画にありがちな勧善懲悪は、ここでは意図的に希釈されている。
その傾向が最も鮮明に表れるのが仙水編である。仙水は、幽助と同じ場所から出発しながら、まったく異なる結論へとたどり着いた存在だ。人間の醜さを知りすぎたがゆえに、彼は世界を肯定することをやめ、否定する側に回った。重要なのは、作者が仙水を単なる狂人や異常者として描かなかった点にある。彼の思想は危険で破壊的だが、理解不能ではない。そのため物語は、幽助と仙水のどちらが正しいのか、読者自身に判断を委ねる構造を持つ。答えは用意されず、宙吊りのまま残される。
この作品が重たいテーマを内包しながらも、読みやすさを失わないのは、理屈を過剰に語らないからだ。哲学的な問いや倫理的な問題は、説明や演説ではなく、殴り合いという行動の中で提示される。言葉よりも体が先に動き、思想は結果としてにじみ出る。読者は「考えさせられている」という自覚を持たないまま、気づけば答えのない問いの只中に立たされている。このさりげなさは作劇の巧みさであり、同時に読み手を不安定な場所へ導く危うさでもある。
終盤、物語は明らかに減速する。伏線はすべて回収されるわけではなく、説明は省略され、決着は唐突に訪れる。この終わり方を物語としての失速と捉えることもできるだろう。しかし別の見方をすれば、作者自身が、この世界に明確な答えを用意できなかった結果とも読める。善と悪、人間と妖怪、生と死。そのいずれにも、きれいな境界線は引けない。その割り切れなさを、物語の結末そのものとして差し出したのだ。
この漫画が描いたのは、少年が世界と折り合いをつける途中にある、不安定で揺らいだ時間である。強くなることよりも、割り切れない感情を抱えたまま、それでも立ち続けること。その姿を肯定した点に、この作品の核心がある。わかりやすい形式を保ったまま、簡単な答えを差し出さなかった。その不器用さと誠実さこそが、『幽☆遊☆白書』を今なお特別な作品として立たせている。
(集英社 kindle版 460円~)



















