著者のコラム一覧
菅谷齊東京プロ野球記者OBクラブ会長

1943年、東京都生まれ。共同通信社でV9時代の巨人をはじめ、阪神などを担当。1970年代からメジャーリーグも取材した。野球殿堂選考代表幹事を務めたほか、三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。現在は東京プロ野球記者OBクラブ会長。

異端の永田ラッパ 選手の契約更改は書類を郵送し「捺印して送り返せ」の一方通行、俳優のギャラと同じと扱った

公開日: 更新日:
プロ野球オーナーの永田雅一大映社長 (C)日刊ゲンダイ

 プロ野球選手の契約更改は選手が印鑑を持って球団事務所に行き、そこで笑顔、渋面などさまざまな顔を見せる。それが現在の基本スタイル。かつては球団代表がデスクに両足を乗せて紙飛行機を飛ばしながら「サインするの? しないの?」。昭和はすごかった。

 そんな昭和時代の契約更改で乱暴そのものだったのが、本業は大映映画のボス永田雅一(まさいち)。1リーグ時代に大映スターズとしてプロ野球に参入。のち毎日オリオンズなどと合併を繰り返して大毎、東京と名乗った。選手の契約更改は年俸を記入した書類を郵送し、捺印させて送り返せ、という一方通行方式で、球団事務所での対面交渉はなし。

 この永田、京都生まれで、小柄だがチョビヒゲをはやし、野太い大きな声でしゃべりまくる。話は大風呂敷。そこから“永田ラッパ”と呼ばれ、妙な人気があった。スポーツ紙の1面でもっとも多く取り上げられたオーナーだった。

 長谷川一夫、勝新太郎ら大スターを自由に操った海千山千の人物だからメディアなど怖くもなんともなかった。ましてや野球選手などは……。

 山内一弘、榎本喜八ら伝説のミサイル打線の猛者をはじめ、通知に逆らう選手はいなかった。拒否したら翌年の名鑑から消えるだけ、といった迫力があった。野球選手の年俸は俳優のギャラと同じと扱っていたのである。

 でっかいネタを残している。

 代表的なのは1960(昭和35)年の大毎時代に、三原脩監督率いる大洋との日本シリーズで4連敗すると 

この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。

(残り114文字/全文752文字)

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した

  2. 2

    【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと

  3. 3

    カーリング女子フォルティウスのミラノ五輪表彰台は23歳リザーブ小林未奈の「夜活」次第

  4. 4

    3度目の日本記録更新 マラソン大迫傑は目的と手段が明確で“分かりやすい”から面白い

  5. 5

    国分太一“追放”騒動…日テレが一転して平謝りのウラを読む

  1. 6

    福山雅治&稲葉浩志の“新ラブソング”がクリスマス定番曲に殴り込み! 名曲「クリスマス・イブ」などに迫るか

  2. 7

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  3. 8

    松岡昌宏も日テレに"反撃"…すでに元TOKIO不在の『ザ!鉄腕!DASH!!』がそれでも番組を打ち切れなかった事情

  4. 9

    年末年始はウッチャンナンチャンのかつての人気番組が放送…“復活特番”はどんなタイミングで決まるの?

  5. 10

    査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった