星野監督の退任にガッツポーズも…あまりに早すぎる星野監督の現場復帰に頭を抱えた
俺自身はプロで初めて2ケタ本塁打(16本)を打つことができ、レギュラーに定着できた年だった。高木監督の途中辞任で徳武定祐ヘッドコーチが監督代行に就任した後も巻き返すことができず、徳武代行も解任に。二軍監督だった島野(育夫)さんが代行の代行を務めた。
前年の94年から、星野さんが監督復帰するともっぱらだった。二軍は島野さん以下、加藤安雄バッテリーコーチ、高畠康真打撃コーチら、1次政権で星野さんを支えてきた面々ばかり。グダグダだったこの年は5位に終わり、星野さんの2度目の監督就任が決定した。約3年半の高木監督時代の思い出話は改めて書きたいと思っている。
星野監督が現場復帰した秋季キャンプ終盤、さっそく“呼び出し”を食らった。監督室のドアをノックすると、衝撃の命令が下された。(つづく)
※「10.8」決戦
プロ野球史上初となる「最終戦同率首位決戦」。優勝を争っていた巨人と中日が1試合を残して共に69勝60敗の同率首位となる。10月8日、ナゴヤ球場で直接対決が行われ、巨人が勝利して優勝。中日は2年連続の2位に終わった。