星野監督の退任にガッツポーズも…あまりに早すぎる星野監督の現場復帰に頭を抱えた
しかし力が抜けすぎたのか、高木守道監督になった92年は最下位に転落。93年はヤクルトに首位を独走されて2位、94年はシーズン中盤から巨人に突き放され、9月ごろから星野監督の復帰が報道され始めた。「おいおい、マジかよ……。『おかえり』が早すぎんか」と、頭を抱えたものの、チームは一気に巻き返し、巨人との「10.8」決戦(※記事末尾に詳細)に至る。
俺は9月20日の阪神戦で左手有鉤骨を骨折した。代打として打席に立ち、3球目でファウルを打った時に手首に激痛が走った。痛みをこらえ、フルカウントまで粘ってスタンドに叩き込んだのだが、そのせいで「10.8」には参戦できなかった。
優勝は巨人にさらわれたものの、選手会長の川又米利さんが選手の総意として高木監督の続投を球団に直談判。最終的に1年の“延長”が決まったが、翌95年は序盤から低迷。6月2日の阪神戦の試合前に、この日限りで高木監督が途中辞任することが発表された。
その試合で高木監督は久慈照嘉さんの打球を一塁の友寄塁審がファウルと判定したことに激怒。一塁を守っていた俺の真横に駆け寄り、友寄審判に暴行を働いて退場処分になるというショッキングな出来事もあった。