著者のコラム一覧
森雅史サッカージャーナリスト

佐賀県出身。久留米大付設高から上智大。サッカーダイジェスト編集部を皮切りに多くのサッカー雑誌の編集に携わり、2009年の独立後も国内外精力的に取材を続けている。「Football ZONE」「サッカー批評web」などに寄稿。FM佐賀で「木原慶吾と森雅史のフットボールニュース」。「J論プレミアム」「みんなのごはん」を連載中。「日本蹴球合同会社」代表。著者写真は本人提供。

井原正巳×中山雅史 「ドーハの悲劇」から悲願のW杯へ…40年来の盟友が語り尽くす“日本代表の魂”

公開日: 更新日:

井原正巳さん(元日本代表DF/58歳)×中山雅史さん(元日本代表FW/58歳)

 サッカー界で1993年10月28日といえば「ドーハの悲劇」。94年W杯アメリカ大会アジア最終予選イラク戦の終了間際の失点により、ほぼ手中にしていたW杯への出場チケットが、スルリと指の間から滑り落ちた。そのドーハのメンバーから、4年後の98年W杯フランス大会に出場したのはDF井原正巳とFW中山雅史だけ。筑波大の同級生コンビの2人が、長く一緒に歩んだサッカー人生をそれぞれに語り尽くした。

  ◇  ◇  ◇

井原 中山雅史(通称ゴン)とは、40年を超える腐れ縁になります。最初の出会いは高校3年生の時、ユース代表の合宿でした。当時の彼は藤枝東高(静岡)のエースストライカーとしてその名を全国にとどろかせていました。その合宿でなぜかコンビを組んでセンターバックを任されたのです。

中山 筑波大学で同級生となる井原は、当時から本当に落ち着いていました。クレバーなプレーを身上としながら、勝負師としての「ダーティーさ」も持ち合わせているプレーヤーでした。

井原 実は私よりもゴンの方が先に守備のポジションを経験していました。私は守備のセオリーも分からず、もたもたしていたのですが、彼はFW出身らしい勘の良さから、真っ先にディフェンスの形をつくっていました。今、思い返してもゴンの適応力には驚かされます。筑波大で4年間を共に過ごしましたが、学生時代から彼は泥くさくて負けず嫌い。それでいて誰よりも場を明るく盛り上げる男でした。サービス精神が旺盛な一方で内面は驚くほど真面目な努力家でもありました。

中山 井原は自分の身体能力、特にスピードに限界があることを客観的に理解していました。だからこそ、常に先を読みながら状況を見極め、その上での予測に基づいたプレーに徹していた。プロフェッショナルファウルを使ってでも相手の勢いを分断することを躊躇せず、タイミングを遅らせて足を引っかけてみたり、相手チームの流れを切ることも上手だった。

井原 私は大学2年の終わり、ひと足先に日本代表に初めて選ばれました。ゴンは大学時代にサイドバックなどさまざまな役割をこなし、卒業してからヤマハ(現磐田)に進みました。FWとしての才能を爆発させ、日本を代表するストライカーへと成長していきました。

中山 井原は日本代表に選ばれ、中東遠征などに参加していました。それを見ていて正直、悔しさもありました。1年の時は同じポジションを争うライバルでもありましたから、自分には「つかみきれなかった場所に先に行かれた」という思いは強かったですね。

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