井原正巳×中山雅史 「ドーハの悲劇」から悲願のW杯へ…40年来の盟友が語り尽くす“日本代表の魂”
「悔しさと充実感が混ざり合った空間の中、素っ裸の男2人が交わした言葉は…」
中山 ジャマイカ戦が終わり、シャワールームで井原と2人っきり。互いに満身創痍で僕は骨折していて「足が痛え~」なんてこぼしながらシャワーを浴びていました。その時、どちらからともなく「やっぱりW杯、いいよね。もう一回出たいよね」という話になりました。悔しさと充実感が混ざり合った空間の中、素っ裸の男2人が交わした言葉は、今でも鮮明に覚えています。同時代に同じ夢を追いかけ、井原とは通じ合う部分がありました。彼がキャプテンとして日本代表の守備を支えてくれたからこそ、僕は安心して前線で走り回り、少ないチャンスをものにすることができました。そうです! 井原正巳という存在なくして僕の日本代表でのキャリアは語れないのです。
井原 ゴンとの長い付き合いの中で、私は常に強烈な刺激を受けてきました。ストライカーとしてゴールに対する異常なまでの貪欲さ、自分に対して一切の妥協を許さない厳しさ、そして周囲をまとめ上げる爆発的なエネルギー。これからも代表選手に永遠に受け継がれるべき<日本代表の魂そのもの>なのです。
(聞き手=森雅史/本蹴球合同会社、絹見誠司/日刊ゲンダイ)
▽井原正巳(いはら・まさみ) 1967年9月18日生まれ。滋賀・甲賀市出身。守山高から筑波大。2年時に日本代表初選出。卒業して日産自動車(現横浜M)に入社。88年1月のUAE戦で代表デビュー。98年W杯フランス大会3試合に主将としてフル出場した。磐田、浦和でもプレー。2002年シーズンを最後に引退。柏コーチ、福岡監督など。25年に韓国Kリーグ・水原三星のコーチを務めた。
▽中山雅史(なかやま・まさし) 1967年9月23日生まれ。静岡・藤枝市出身。藤枝東高から筑波大。90年にヤマハ(現磐田)に入社。プロ化2年目の94年にJデビュー。元ブラジル代表主将MFドゥンガらと97年J初優勝に貢献した。札幌、JFL沼津でもプレー。磐田のコーチ、沼津の監督も歴任した。98年W杯フランス大会ジャマイカ戦で日本人初のW杯得点者となった。


















