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森雅史サッカージャーナリスト

佐賀県出身。久留米大学附設高から上智大。サッカーダイジェスト編集部を皮切りに多くのサッカー誌の編集に関わり、2009年の独立後も日本代表の国内外の活動に密着取材を続けている。決め細やかな取材と精緻な筆致に定評がある。日本蹴球合同会社代表。森保監督との共著「『森保ノート』の真実。」(幻冬舎)が話題を集めている。

松永成立〈前編〉「ポイチ」という無名の若者が代表の心臓に…元守護神が見た森保一の原点

公開日: 更新日:

松永成立さん(元日本代表GK/63歳)

 日本代表を指揮する森保一という男を見つめていると、彼が初めて代表のピッチに立ったあの日の光景が鮮烈に蘇ります。

 1992年5月31日、旧・国立競技場で行われたキリンカップのアルゼンチン戦。

 1991年のコパ・アメリカで優勝したメンバー8人が先発に名を連ね、その中にはFWのクラウディオ・カニーヒア、ガブリエル・バティストゥータといった世界のスターがいました。

 日本代表はDFの井原正巳、柱谷哲二、FWの三浦知良、中山雅史らという実績のあるお馴染みのメンバーの中に、当時はまだ誰も名前の読み方も広まっていなかった「ポイチ」という無名の若者が立っていました。

 その年の3月に就任したばかりのハンス・オフト監督が、1988年まで率いていた自身の古巣であるマツダ(現サンフレッチェ広島)から呼び寄せた彼に対し、当時の私たちは「誰だっけ?」と半信半疑の目を向けていたのが実情です。

 しかし、試合が始まれば「あぁ、なるほど」と納得せざるを得ませんでした。中盤の底で、危険を察知すれば誰よりも早くボールの側に寄り添う。 その献身的な姿は、後年のフランス代表の名手エンゴロ・カンテを彷彿とさせるほど守備範囲が広く、局面に応じて最適なプレーを選択する直感力に優れたものでした。

 GKの私や井原、柱谷哲が守る後ろのDFラインから見ても、彼がボールの方向を制限してくれるおかげで、これほど守りやすくて頼りになる存在はいませんでした。

 彼は常に100%の力で役割をこなしていきました。オフト監督が最も求めた「規律」を体現できる、まさに「チームの心臓」だったのです。

 森保という男は、極めて真面目であり、それでいて一度決めた意志を曲げない頑固さを持ち合わせています。

 現役時代、ラモス瑠偉さんを筆頭に個性豊かな攻撃陣が自由に振る舞えたのは、彼らの背後で彼が泥臭くフィルター役を全うしていたからです。

 私が日産に入った1年目の頃、チームには日本代表選手が6人も7人もいて、ものすごく個性が強い集団でした。優勝するチームというのは必ず個が強く、往々にして「言うことを聞かない」連中が多いものです。

 当時の日本代表も例外ではありませんでした。 そうした強烈な個性がぶつかり合う歪なバランスを、森保の献身的なプレーが静かに支えていたように思います。

 そんな彼が今、日本代表の監督として「ワールドカップ優勝」という、かつての私たちには想像もつかなかった高みを本気で目指しています。

たとえメディアが特定の選手への不満を報じたとしても…

 私自身、京都でGKコーチをスタートさせてから、多くの監督を見てきましたが、指揮官という職業は、勝てなければクラブ側から直接的なプレッシャーを受け、想像を絶するストレスに晒される過酷な仕事です。

 私は、その傍らで「自分には監督は向いていない」と痛感するほど、彼らの苦労を間近に見てきました。

 サンフレッチェ広島で3度のリーグ優勝を成し遂げた手腕は、決して偶然ではありません。

 そして今、厳しい世界で結果を出し続け、今の代表を率いる彼の忍耐強さと指導力には、心から敬意を表します。

 森保監督の最大の強みは「選手たちへの細やかなケア」と「揺るぎない信頼関係の構築」にあるのでしょう。

 戦術を体現させる以前に、選手が「この監督のために」と走り抜けるメンタルを整える。特にウイングバックの選手たちが、強度の高い試合で何度も何度も自陣まで全力で戻る姿を見れば、監督との間にどれほど深い意志の疎通、信頼関係があるかは明白です。

 たとえメディアが特定の選手への不満を報じたとしても、彼はその懐の深さで選手と腹を割って対話し、再び戦力として組み込んでいく。

 あの凄まじい上下動の連続性は、選手が監督を心から支持し、信頼していなければ決して成り立たないものです。繰り返しますが、ウイングバックが懸命に走って戻る姿を見るだけでも、森保監督との深い絆が透けて見えます。

 一部では続投の是非や目標の高さに議論があるようですが、私は今の日本代表にとって、彼が指揮を執り続けることが最善の選択であると確信しています。

 ブラジルやイングランドといった強豪を相手に、内容でも互角以上に渡り合い、勝利を収める。

 ウェンブリーでのイングランド戦ではボール保持率こそ相手が上回りましたが、決定機の数では日本が勝っていました。 これは単なる幸運ではなく、積み上げてきた実力の証です。

 現場を知る人間からすれば、今の彼を支持する声が圧倒的に多いのは当然のことでしょう。たとえワールドカップ本番で想定外の結果に終わったとしても、これまでのプロセスを正当に評価し、彼にさらなる4年を託すのも、選択肢のひとつだと思います。

 勝負事に絶対はありません。格下相手に不覚を取ることも、10回に1回は起こり得ます。それでも、今の代表が掲げる目標を「空想」だと笑う者はもういないはずです。 かつての戦友として、そして長く現場で指導に携わってきた一人の人間として、彼が作る「最強のチーム」が世界の頂点に立つ瞬間を、私は強く信じて待ちたいと思います。

 もし優勝が決まったその時は、最高の酒で彼の労をねぎらいたいものですね。(【後編】につづく)

(聞き手=森雅史/日本蹴球合同会社) 

▽松永成立(まつなが しげたつ) 1962年8月12日生まれ。静岡・浜松市出身。野球少年から小6でサッカーを始め、長身を見込まれてGKに。地元の浜名高から愛知学院大。卒業後に日産自動車サッカー部(現横浜マリノス)に進み、88年からJSL2連覇に貢献した。87年に代表デビュー。90年イタリアW杯アジア予選(89年)では正GKとして全試合に出場した。その後は代表から外れることもあったが、92年のオフト監督就任以降は正GKに復活。94年アメリカW杯の最終予選「ドーハの悲劇」を経験した。JFL仙台、京都などでプレーして2000年に引退。横浜マリノスでは07年から25年5月までGKコーチを務めた。

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