著者のコラム一覧
森雅史サッカージャーナリスト

佐賀県出身。久留米大付設高から上智大。サッカーダイジェスト編集部を皮切りに多くのサッカー雑誌の編集に携わり、2009年の独立後も国内外精力的に取材を続けている。「Football ZONE」「サッカー批評web」などに寄稿。FM佐賀で「木原慶吾と森雅史のフットボールニュース」。「J論プレミアム」「みんなのごはん」を連載中。「日本蹴球合同会社」代表。著者写真は本人提供。

井原正巳×中山雅史 「ドーハの悲劇」から悲願のW杯へ…40年来の盟友が語り尽くす“日本代表の魂”

公開日: 更新日:

「イラク戦の結末は、あまりにも残酷だった」

井原 93年10月、カタールの首都ドーハで悲願のW杯出場を懸けて戦いました。しかし、最終戦のイラク戦の結末は、あまりにも残酷なものでした。静まり返ったホテルの部屋で打ちひしがれ、言葉を失っていたゴンの姿は、今も私の脳裏に深く刻まれています。ドーハの後、代表監督がオフトからブラジル人のファルカンに代わり、ゴンは代表の枠から外れることになりました。98年W杯フランス大会の予選の最中、テレビ番組のピッチリポーターとして試合会場に現れました。仲間たちが死闘を繰り広げる姿をピッチの外から、しかもマイクを持って見つめるのは、相当な葛藤と屈辱があったはずです。

中山 旧国立競技場で行われた大一番の韓国戦は、テレビ局の仕事で放送席から見ていました。あの時は、とにかく日本代表に勝ってほしい、最終予選を突破してほしいという一心でした。最終予選が終わるまでに「自分にもチャンスが巡ってくるかも知れない」という思いもありました。

井原 断りたくなるような仕事ですが、彼は笑顔を絶やさず、盛り上げる役に徹しました。そのけなげな姿にキャプテンを務めていた私も、そしてチーム全体も本当に救われる思いがしました。

中山 97年11月のカザフスタン戦に追加招集され、2年5カ月ぶりに代表へ舞い戻った時、井原は何事もなかったかのように普通に接してくれました。特別な言葉もなかった。でも、それでいいのです。筑波大の同期生として、そしてキャプテンとして、どっしりと構えてくれていたことが心強かったですね。

井原 チームの流れが悪い時に戻ってきたドーハの経験者は、私にとっても若手選手たちにとっても、これ以上ないほど心強い存在でした。彼は周囲に何を期待されているかを敏感に察知し、自然と場を鼓舞できる稀有なリーダーシップを持っていました。W杯フランス大会を2連敗で迎えた第3戦ジャマイカ戦、ついにゴンがゴールを決めました。日本サッカー界が、長年待ち望んだ歴史的なW杯初得点でした。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    萩本欽一〈47〉気仙沼ちゃんは民宿4軒経営の大女将に 説教してテレビで夫を募集させた甲斐があった

  2. 2

    阿部慎之助にした「今ならパワハラで即クビ」の指導&落合博満から学んだ仰天トレーニング

  3. 3

    モグライダーともしげが埼玉の中高一貫ミッションスクール聖望学園で打ち込んだアメフト《26年夏番外編》

  4. 4

    千葉秋季大会開幕も専大松戸が「来春センバツを狙う」と宣言できない切実なチーム事情

  5. 5

    萩本欽一〈46〉斉藤清六が泣きながら持ってきた1000万円、追い返そうと思って貯金額を聞いたら驚いた

  1. 6

    広島4番栗原に敵将・落合監督は「四球でいい」と助言を…

  2. 7

    timelesz猪俣周杜「傷害容疑で逮捕」に“ダブルでガッカリ“…ファンの計り知れない失望

  3. 8

    菊池風磨はジャニー喜多川氏の“推薦”もあって慶大総合政策学部に進学 仕事の合間に1日10時間の猛勉強

  4. 9

    萩本欽一〈45〉斉藤清六を全国区にした誰も知らない裏話 “弟子入りNG”から評価を一転させたんです

  5. 10

    4度結婚した宇野千代の“不倫”をNHK朝ドラ「ブラッサム」はどう描く?「カーネーション」は真正面から